大橋宗桂・宗金筆書状

- 人物
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作者大橋宗桂(11世)賛者大橋宗金(12世)
- 年代
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制作年 AD19
- タイトル
- オオハシソウケイ・ソウキンヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
大橋家は江戸時代の将棋の家元である。初代大橋宗桂〈おおはしそうけい・1555-1634〉は桃山時代~江戸前期の将棋師で、当初は囲碁の名人・本因坊算砂〈ほんいんぼうさんさ・1559-1623〉の門下であった(算砂は将棋においても当時の第一人者であった)。慶長17年〈1612〉には徳川家康から五十石五人扶持を賜い、本因坊算砂から将棋所(幕府の職制の一)を譲られ、初代名人となった。詰将棋五十番を収めた『象戯図式(しょうぎずしき)』(慶長年間・1596~1615刊)・『象戯馬法(しょうぎうまほう)』(元和2年・1616刊)など、数多くの将棋書を著わしている。以後、大橋家は、代々宗桂の名を受け継ぎながら、将棋の家として12代まで続く。文面冒頭の「御城将棋(おしろしょうぎ)」とは、江戸幕府の年中行事の一つで、毎年正月17日に、江戸城内、将軍の御前において、将棋の家元三家(大橋本家・大橋分家・伊藤家)の棋士を召し出して行われる将棋の対局のこと。将軍徳川家光の時代に始まり、家綱の時代から年中行事となったが、文久元年〈1861〉をもって幕を閉じた。この書状の署名は、宗桂と並んで宗金の名が記されていることから、11代宗桂〈1804-1874〉と12代宗金〈そうきん・1839-1910〉が相当すると思われる。将軍家に将棋道をもって取り立てられる栄誉と繁栄を祝ったものである。「扨又(さてまた)、例年の御城将棋の写入(棋譜)、御覧申し候。相替わらず、棋道御取立て等、御座候哉。兼ねて繁栄を希い候。先ずは右申し上げ度く。来陽(来春)目出度く万々申し上ぐべく候。以上。十二月七日認む 大橋宗桂・同宗金/荻野良左衛門様人々御中」
扨又例年之御城将棋写入御覧申候不相替棊道御取立等御座候哉傔(=兼)繁栄希候先者右申上度余者来陽目出度萬々可申上候以上十二月七日認大橋宗桂同 宗金荻野良左衛門様人々御中
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter jointly written by the 11th Ohashi Sokei and 12th Sokin
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1葉
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