Object

白隠慧鶴筆書状

Keio Object Hub
人物
年代
制作年 AD18
タイトル
ハクインエカクヒツショジョウ
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001811-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
手書き フォント 矩形 アート モノクロ

白隠慧鶴〈はくいんえかく・1685-1768〉は、江戸中期の臨済宗妙心寺派の僧。幼名岩次郎、鵠林とも号した。駿河国駿東郡原(静岡県沼津市)の松蔭寺の単嶺祖伝(たんれいそでん)に参じて出家、慧鶴を号した。その後も、沼津の大聖寺息道、美濃大垣の瑞雲寺馬翁、伊予松山の正宗寺逸伝、越後高田の英巌寺性徹に歴参、さらには信濃飯山の正浮老人道鏡慧端のもとにあってひたすら修行、その法を嗣いだ。以後も諸方の宗師を歴訪行脚して参究につとめた。そして、享保2年〈1717〉33歳の時に、松蔭寺に住した。翌年11月には、妙心寺第一座に転じ、白隠を称した。さらに、松蔭寺を拠点に、諸国へ正法挙揚につとめ、同寺を復興した。また、宝暦8年〈1758〉には、三島に龍沢寺を開創、晩年は、同寺と松蔭寺との間を往復の日々であった。終生王侯に近づかず、かれの布教基盤は、常に農民の側にあった。多くの漢詩文・和語法語などの著書を残す一方、書画もよくした。文中「比奈村玄徳」は、同村在住の医師石井玄徳〈いしいげんとく・1671-1751。名・玄真、字・重英〉のことで、白隠より14歳年長、熱心な参禅の士であった。学識・詩才に秀で、白隠との交流は生涯続いたという。宛名の玄中はその子息であろうか。檀家の有力な一人として松蔭寺内の禅堂普請に多大な援助をしていたのであろう。その礼手紙である。かれは、独特の筆法・画法を駆使した墨跡・禅画を数多く残しているが、正統の筆致を示すこの書状は、伝存稀有なる遺例として貴重な存在である。「其の後は、久敷芳慮を得ず、御面遠(無沙汰)に罷り過ぎ候。御前、御息災に暮らし遊ばされ候由、珍重の御事に候。爰元、相替わる事御座無く候。是又賢慮を労され有り難く候。然らば、内々御世話に成され下され候。禅堂の普請、昨日迄に出来、大家二十ヶ余り相勤め申し候。是又、御心盃(心配)下さるべからず候。夫に就き、此の状壱通、此奈村(静岡県富士市)玄徳老迄御届け下さるべく候。万端、後音の節を得候。恐惶謹言。/尚々、冬中近所へも御越し成され候はば、御立ち寄り待ち入り申し候。/十二月二日石井玄中老/松蔭寺白隠」

尚々冬中近所へも御越被成候者御立寄待入申候其後者久敷不得芳慮御面遠ニ罷過候御前御息災ニ御暮被遊候由珍重之御事ニ候爰元相替事無御座候是又被労賢慮有難候然者内々御世話ニ被成被下候禅堂普請昨日迄ニ出来大家二十ヶ餘り相勤申候是又御心盃不可被下候就夫此状壱通比奈村玄徳老迄御届可被下候万端得後音之節候恐惶謹言十二月二日松蔭寺石井玄中老白隠

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001811-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

画像
ライセンス

所管・分類など

所管
斯道文庫
キャンパス 三田
URL
基本分類
美術

グループのオブジェクト

OPEN DATADESIGN

Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。

オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Hakuin Ekaku

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Hakuin Ekaku

物理的特性

重量と数量
員数 1幅