蜂須賀家政筆書状

- 人物
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作者蜂須賀家政
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- ハチスカイエマサヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
蜂須賀家政〈はちすかいえまさ・1558-1638〉は、桃山~江戸初期の武将。蜂須賀小六正勝〈まさかつ・1526-86〉の子。はじめは織田信長に仕えたが、天正3年〈1575〉には豊臣秀吉に属し、以後、長篠の戦い(天正3年)、山崎の戦い(同10年)、賤ケ嶽の戦い(同11年)、根来雑賀の一揆(同12年)と、つぎつぎに戦功を挙げた。その功により同13年〈1585〉阿波国十七万三千石に封ぜられ、翌年、従五位下・阿波守を叙任。その後も、小田原征伐では伊豆韮山を攻めた。さらに、文禄・慶長の役にも参戦、ついで、朝鮮半島に渡海転戦、大いに活躍した。慶長5年〈1600〉の関ヶ原の戦いでは、子の至鎮(よししげ)を徳川家康に送って、本領を保った。同時に、隠居・剃髪して法号・蓬庵を号した。寛永15年〈1638〉12月30日、死没。81歳であった。茶道にも親しみ、千利休や津田宗及らと深く交わったことが、当時の茶会記によって知られる。この書状は、鷹狩りによって得られた雲雀の肫(ももげ・内蔵)を塩漬けにし、発酵させた塩辛を容器に入れたもの1折と、雲雀の塩漬け50羽分を送られたことへの礼状。いずれも珍味の贈物で、早速賞翫、その絶妙の味に満足した様子が文面にあふれている。宛名は、「いちた(市田)」とも読み取れるが、特定はできない。蓬庵の署名により、慶長5年〈1600・43歳〉以降の執筆であるが、枯れた筆致から、60~70代のころのものと思われる。「昨日、鷹の雲雀の肫の塩辛曲物一、并びに同じく塩雲雀数五十、贈り給い候。誠に思い入れられ、仰せの如くの音信、書中に申し尽くし難く、面を以って満足の程申すべく候。恐々謹言。市田四郎左衛門尉殿蓬庵」
昨日たかノひはりノもゝけノしほからわけ物壱 并同しほひはりかす五十 おくり給候誠おもひ被入如仰ノ音信書中ニ難申尽以面満足ノほと可申候恐々謹言八月六日いちた四郎左衛門尉殿蓬庵
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Hachisuka Iemasa
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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