古渓宗陳筆偈

- 人物
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作者古渓宗陳
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- コケイソウチンヒツゲ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
古渓宗陳〈こけいそうちん・1532-97〉は、臨済宗大徳寺派の僧。別に蒲庵と号した。越前の武将朝倉氏の出自。京都に出て大徳寺第107世笑嶺宗訢〈しょうれいそうきん・1505-1583〉に師事した。天正元年〈1573〉、正親町天皇〈おおぎまちてんのう・1517-93〉の勅により大徳寺第117世の住持に出世。のち、堺の南宗寺(なんしゅうじ)第5世となった。かねてから豊臣秀吉〈とよとみひでよし・1536-98〉の帰依厚く、秀吉が大徳寺内に織田信長〈おだのぶなが・1534-82〉のための総見院(そうけんいん)を建てた際、宗陳はその開山に招かれ、信長の葬儀には導師をつとめた。その後、石田三成〈いしだみつなり・1560-1600〉の讒言により筑前博多に配流されたが、やがて赦免されて帰京。大徳寺に戻り、のち洛北の常楽庵に隠棲して茶湯三昧の風雅な余生を送った。千利休〈せんのりきゅう・1522-91〉や古田織部〈ふるたおりべ・1543-1615〉ら多くの茶人の参禅の師で、茶湯の数寄者としても高名であった。慶長元年〈1596〉、後陽成天皇〈ごようぜいてんのう・1571-1617〉より大慈広照禅師の号を賜る。翌年、66歳で示寂。冒頭の一文「旧雨来人、新雨不来」は、蘇軾(蘇東坡)の詩「次韻して王定国に答う」から引用したもの(原文では「旧雨来人今不来」)。以前は雨の時でも来てくれた人が、今は来てくれない、の意。この手紙は、長らく訪れのない旧友に宛て、自作の絶句を添えて、その寂しさを綴ったものである。「旧雨に来たる人、新雨に来たらず。実に遺憾有り。漫ろに一絶を綴り、某隹丈の玉案に投げ奉りて、以て聊か卑懐を述べて云う。碧雲合う処、月何ぞ明らかならん。咫尺(しせき)の渓山、万里の情。永夜、耆愁(ししゅう)滴り、自ら語る。芭蕉有らずも君の名を認む。風狂子(印「宗陳」)」
旧雨来人新雨不来実有遺憾漫綴一絶奉投某隹丈玉案下以聊述卑懐云碧雲合処月何明咫尺渓山萬里情永夜滴耆愁自語芭蕉不有認君名風狂子(印「宗陳」)
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Buddhist Verse by Kokei Sochin
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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