豊太閤像賛

- 人物
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作者南化玄興
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- ホウタイコウゾウノサン
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
南化玄興〈なんかげんこう・1538-1604〉は桃山時代の臨済宗妙心寺派の僧。美濃(岐阜県)の人。邦叔宗楨〈ほうしゅくそうてい・生没年未詳〉について出家。美濃の崇福寺(すうふくじ)、のち甲斐の恵林寺(えりんじ)において快川紹喜〈かいせんじょうき・?-1582〉に師事し、法を嗣いだ。元亀元年〈1570〉、33歳で妙心寺に入寺し、天正元年〈1573〉出世。以後、妙心寺に住すること度々であった。織田信長〈おだのぶなが・1534-82〉はじめ諸大名の帰依を受けるが、とりわけ豊臣秀吉〈とよとみひでよし・1536-98〉はその禅風を慕った。また、後陽成天皇〈ごようぜいてんのう・1571-1617〉の帰依厚く、慶長9年〈1604〉隣華院に寂し、翌年、定慧円明国師の諡号を賜った。その別号たる虚白をとって、著書を『虚白録(きょはくろく)』という。この一幅は、豊臣秀吉の肖像画の賛語である。署名に「前花園」とあるのは、京都花園の前妙心寺住持という意味で、天正18年〈1590〉尾張の妙興寺へ遷した以後のものと知る。秀吉の死去は慶長3年〈1598〉8月18日、伏見城において、60歳のときであった。秀吉の肖像は、生前・没後を通じて、数多くがつくられた。この賛語によれば、その末尾に長寿を願う言葉が書かれているので、秀吉生前の寿像(当人生存中の画像)に加えられたものであることがわかる。いま、京都の高台寺に南化玄興が賛を加えた肖像画(重文・絹本著色)が所蔵されているので、これはその時の手控えとして残されたものであろうか。「大明・日本、一世の豪を振う。国王の印を佩び、天子の袍を賜う。鳳は千仭(深い谷)を翔び、鶴は九皐(高い空)に舞う。太平の路を開きて、海は濶(ひろ)く、山は高し。別々(おのおの)、長く児孫を祝ぎて枝葉(子孫)を累ね、万年の松上、蟠桃(はんとう・三千年に一度開花結実するという桃)を結ぶ。欽(つつ)しみて、太閤相公の肖像に賛す。前の花園の南化叟」
大明日本振一世豪佩国玉印賜天子袍鳳翔千仭鶴舞九皐開太平路海濶山高別々長祝児孫累枝葉萬年松上結蟠桃欽賛大閤相公之肖像前花園南化叟
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グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Inscription for Toyotomi Hideyoshi’s Portrait
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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