記録切(明月記断簡)
- 人物
-
作者藤原定家
- 年代
-
制作年 AD12
- タイトル
- キロクギレ(メイゲツキダンカン)
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
『明月記』は、藤原定家〈ふじわらのさだいえ・1162-1241〉の日記。欠落部分もあるが、治承4年〈1180〉2月(定家19歳)から嘉禎元年〈1235〉12月(同74歳)までの56年間の記事が現存する。その内容は、鎌倉時代初期の貴族社会の内面や、政治の情勢が詳しく綴られるほか、勅撰集の編纂、作歌活動、古歌や古典の書写・研究などの記事も多く、歌人・歌学者としての定家の活動がうかがえる貴重な資料である。ここに見られるように、定家独自の特異な書風である。「其の字鬼の如し」と、みずからは悪筆を自認したが、歌道における定家尊崇の風潮と相まって、その子孫を中心として一つの書流「定家流」が形成された。この断簡は、正治元年〈1199〉7月15日の条にあたり、活字本(国書刊行会本)を補正するもの。「関東女子穢気」は、鎌倉幕府征夷大将軍源頼朝の死去(同年正月13日薨)にともなって、そのむすめ(源義基室たりし女子か)が喪に服していることを意味する。そのため、宮中における仗議(国政議定。陣定とも)および勅使の派遣が9月に延期になったことを記すもの。「十五日陰(くも)り。辰(午前8時ごろ)の後に雨下る。始めて秋の景気あり。大臣殿(内大臣藤原良通・31歳) に終日参る。夜に入りて退下す。明日、仗議延引と云々。関東女子の穢気不審の間、公卿勅使、延引す。九月に発遣さるべし。仍って、此の仗議又急がるべからざるに依り、延ばさるると云々」
十五日陰辰後雨下始有秋景気参大臣殿終日入夜退下明日仗議延引云々関東女子穢気不審也依関東女子穢気不審 間公卿勅使延引九月可被発遣仍此仗議勅使延引事仗議又依不可被忩〔=急〕被延云々
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Segment from the Meigetsuki
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。