大原御幸図

- 人物
-
作者板谷広長
- 年代
-
制作年 江戸時代後期(18−19世紀)
- タイトル
- オオハラゴコウズ
- 寸法
- 37.5×47.2
- 材質・技法・形状
- 絹本着色
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
平家滅亡後の後日談を絵画化した作品。壇ノ浦の戦いから1年後、後白河法皇(1127–92)は京都大原の寂光院に建礼門院(徳子(1155–1213))を訪ねた。周囲は木々の生い茂る、うら寂しい寺院である。女院は野草摘みに出掛けて留守にしていたため、画面左下の庵で待つことにした。法皇は身分の高い存在であるので、着衣の裾を描くにとどまり、その存在を暗示している。側の僧尼はいち早く女院を見つけたのだろうか、右上の山中から現れた一行を指さしている。やがて再会した2人は過去を語り合う。女院は自身の生涯を仏教の六道になぞらえながら、一族の繁栄から都落ち、そして海上を漂流したのち、安徳天皇(1178–85)という最愛の我が子を失った悲しみを嘆く。
作者の板谷広長(1760–1814)は、江戸幕府の御用絵師で板谷派の2代目。板谷派は大和絵師の住吉派から分かれた流派で、幕末にいたるまで代々御用をつとめた。表具の一文字は徳川家ゆかりの葵紋である。(小松)
[参考文献]『板谷家を中心とした江戸幕府御用絵師に関する総合的研究』東京国立博物館編、2016年
文字景 —— センチュリー赤尾コレクションの名品にみる文と象」展(2021.4 慶應義塾ミュージアム・コモンズ)図録 掲載
板谷広長〈1760-1814〉は幕府御用絵師広当(慶舟〈1729-97〉)の子。住吉広守の門人であった父の業を継いで、画を能くした。初号は慶意、薙髪して桂意という。この作品は『平家物語』の終曲に近い「大原御幸」の段を図したもの。後白河法皇が大原の草深い閑居を訪ねられたところ、背後の山から尼姿の女院と近侍の女房・大納言佐が戻ってきたという場面を描出している。土佐・住吉派の画風を踏襲した伝統的やまと絵である。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- The Imperial Visit to Ōhara from The Tale of the Heike
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 太巻/外箱(二重箱)
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