源氏物語橋姫図
- 人物
-
作者伝俵屋宗達
- 年代
-
制作年 江戸時代(17世紀)
- タイトル
- ゲンジモノガタリハシヒメズ
- 寸法
- 27.5×62.8
- 材質・技法・形状
- 紙本着色
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
俵屋宗達〈たわらやそうたつ・生没年未詳〉は、桃山~江戸時代初期の画家。その伝記は詳らかでないが、京都の上層町衆の絵屋あるいは扇屋として、「西行物語絵巻」の模写や「平家納経」の修理などを通じて古典絵画を学び、独自の装飾性によってやまと絵の近世的復興を果たした。千少庵〈せんしょうあん・1546-1614〉、烏丸光広〈からすまるみつひろ・1579-1638〉など当時一流の文化人・公卿たちとの親交が深く、本阿弥光悦〈ほんあみこうえつ・1558-1637〉とは姻戚関係にある。宗達と光悦が創始した琳派はその後、尾形光琳〈おがたこうりん・1658-1716〉・乾山〈けんざん・1663-1743〉兄弟によって発展、酒井抱一〈さかいほういつ・1761-1828〉、鈴木其一〈すずききいつ・1796-1858〉らによって江戸の地に定着した。紫式部〈むらさきしきぶ・生没年未詳〉の『源氏物語』(54帖)は、成立後数十年にして早くも一少女に耽読されたように(『更級日記』)、読者層を広げていった。やがて、『源氏物語』を絵画化しようとする風潮が起こった。12世紀初めの源師時の日記『長秋記』によれば、鳥羽天皇の中宮璋子〈たまこ=待賢門院・1101-45〉が、「源氏絵」(当時すでにこの名で呼ばれていた)の制作を依頼、中宮に仕える師時が貴族絵師の彩管を揮って描いたのである。これが文献に残る最初の記録である。現在、徳川美術館と五島美術館が所蔵する「源氏物語絵巻」は、それから30~40年後の作品である。以後、時代を通じて『源氏物語』は享受されつづけ、近世に入ると、『源氏物語』の各場面の絵様(「源氏絵」)が定形化され、色紙や巻物などに描かれ、屏風に貼り交ぜたり、帖に仕立てて鑑賞されるようになった。この図は、「橋姫」の巻の一場面を描いたもの。宇治の山荘で、八宮の2人の姫君(大君・中君)たちが、琴と琵琶を合奏する姿を、たまたま訪れた薫が覗き見るところである。琵琶の撥で有明の月を招くと見えるのがおそらく中君、簀子の上に控えるのが近侍の女房で、大君は画面に見えない。単純化された装飾的な画面が、宗達独特の美意識を反映している。これは、大正から昭和にかけて活躍した実業家・団琢磨〈だんたくま・1858-1932〉の旧蔵で、いまは段ごとに分断され、諸家に分蔵されている。
三井財閥の総帥を務めた実業家・団琢磨(1858–1932)が旧蔵した源氏物語図屛風(6曲1双)の残闕で、「橋姫」の一場面。宇治の山荘には、琵琶の撥で有明の月を招く、八宮の中君の姿と、それを垣間見る薫が描かれている。伊年印がおされ、俵屋宗達率いる工房によって制作された源氏物語図屛風の中で唯一54帖全てを備えた貴重な作例であった。現在その全貌を知る手がかりは、『宗達画集』に掲載されるモノクロ写真のみで、切断された各図は、出光美術館、サンリツ服部美術館等、諸処の美術館等に分蔵される。
宗達は絵巻などの古典作品から図様を抜き出し、構図や形態にアレンジを加えた。人物は、目鼻がやや離れた細工人形のような愛らしい姿で表現され、柔らかな曲線によって象られた土坡や雲霞が、宗達工房らしいおおらかな魅力を伝える。(松谷)
[参考文献]『宗達画集』審美書院、1913年
文字景 —— センチュリー赤尾コレクションの名品にみる文と象」展(2021.4 慶應義塾ミュージアム・コモンズ)図録 掲載
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Scene from the Lady at the Bridge Chapter of The Tale of Genji
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 複製画/コピー冊子
来歴
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