鍾馗図

- 人物
-
作者能勢紹軒
- 年代
-
制作年 AD16
- タイトル
- ショウキズ
- 材質・技法・形状
- 紙本淡彩
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
中国・唐の第6代皇帝玄宗がマラリアの高熱にうなされた時の夢の話。自分に取り憑く悪鬼を、どこからともなく現れた大鬼が難なく退治する。その正体を尋ねると「終南山出身の鍾馗という者。武徳年間(唐・高祖の時代)に受験した科挙の試験に落第、絶望して宮中で自殺した。が、その時に高宗皇帝が手厚く葬っていただたのその恩に報い、天下国家の災いを除く誓いを立てた」という。その夢から覚めた玄宗は、不思議に病気が治っていることに気づく。自らの命を救ってくれた鍾馗を今後は神として祀らんとして、著名な画家呉道玄に鍾馗の絵姿を描かせた。以来、鍾馗の絵姿には邪鬼を払う効験があるという信仰が生まれ、わが国には、南北朝時代に禅宗文化の渡来の中に将来され、室町時代以降、鍾馗の画像を描いて礼拝する習慣が生まれた。とくに江戸時代に入ると広く流行、端午の節句(男児のたくましい成長を祈る)の飾りとして、また、人形に作り、魔除けのシンボルとして具象化し、強気ものの象徴として定着する。その姿は、長い髭を蓄え、官人の衣装を着て、右手には剣を持ち、大きな眼でにらみつける怖い表情に作られる。本図は、水墨画の鍾馗図、その古雅な趣から比較的古い遺例で、室町時代に遡るのではあるまいか。左上方に捺される印章は「能勢氏紹軒」と読める。能勢氏は、平安時代の源頼光に遡る武人の家系。のちに美濃の土岐(岐阜県)に下って土着、土岐氏を称して屈強な戦国大名の家として活躍した。その一系には、武芸のほかに文芸・芸術(茶の湯・絵画)などに非凡の才能を発揮した人物も輩出している。となると、この「能勢紹軒」なる人物は、現存の画人伝に見い出せないが、隠れた武人画家として彩管を揮っていたものではなかったか。課題の多い作品である。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Portrait of Zhongkui
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 巻止、外箱×2、極札(小松茂美氏)
来歴
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。