朧月夜内侍図
- 人物
-
作者伝岩佐又兵衛
- 年代
-
制作年 AD17
- タイトル
- オボロヅキヨナイシズ
- 寸法
- 119.2×53.0
- 材質・技法・形状
- 紙本着色
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
光源氏と朧月夜内侍の弘徽殿の廊での逢瀬(『源氏物語』「花宴」)の場面を描く。筆者を岩佐又兵衛〈1578-1650〉という。又兵衛は、江戸時代初期の画家で、名は勝以。伊丹城主荒木村重の末子として生まれたが、織田信長に滅ぼされた荒木家であったが、救出された母方の岩佐姓を名乗って、画家として生計を立てる。元和元年〈1615〉ころより20年間福井に住して藩主松平忠直・忠昌の庇護のもとで画才を磨いた。晩年に江戸に出て活躍した。美人図・風俗画に新風を吹き込んだ、独特の画風が珍重された。この図様は、「旧金谷屏風」(6曲1双)と通称される12枚の作品群の1枚であった源氏物語・朧月夜図とわずかな差異を除いて全く同一の図様。「旧金谷屏風」は、福井藩を代表する豪商・金谷家に伝来した。金谷家が初代藩主結城秀康の3男直政(松江藩主)を養育したことに対する謝礼として贈られたものという。各扇異なる画題を配したもので、現在では軸装となって、東京国立博物館(3図)・出光美術館(2図)・山種美術館ほか諸家に分蔵される。本図が、この「金谷屏風」の写しか、あるいは又兵衛が複数同図で描いていたものかの判定は今後に譲る。なお、本図は、三河国を本拠とする武士団で、代々、松平・徳川氏に仕えた家臣本多家の末裔本多子爵家伝来の品であったという。
「花宴」の一場面で、源氏と一夜をともにすることになる朧月夜内侍を描いた作品。これまでの源氏絵では、桜の花の宴の夜、弘徽殿の細殿で扇を手にそぞろ歩く朧月夜を、源氏が少し離れたところから見初める場面を描くことが多かったが、本図では、源氏が朧月夜を抱きかかえて、部屋の妻戸を押し開ける劇的な瞬間を描く。これは、岩佐又兵衛(1578–1650)が生み出した図様で、その後の源氏絵に大きな影響を与えた。
本図は、旧金谷屛風の「花宴図」(所在不明)と、人物の輪郭線が一致することから、敷き写しで描かれたと考えられる。旧金谷屛風は、又兵衛が40代の頃、福井で制作した押絵貼屛風で、明治期に掛軸に改装され、諸処に分蔵されている。本図は、旧金谷屛風と印が異なる「勝以」印が捺される。また、背景の月が霞に隠れておらず、原本の持つ深い空間表現が軽減している上に、基準作と比べると描線が大人しいことから、旧金谷屛風「花宴図」と同一の粉本(下図)から、又兵衛没後に工房で制作された作品であると推測する。(松谷)
文字景 —— センチュリー赤尾コレクションの名品にみる文と象」展(2021.4 慶應義塾ミュージアム・コモンズ)図録 掲載
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識別情報
- タイトル(英題)
- Lady Oborozukiyo
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- 重量と数量
-
員数 1幅
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