聖徳太子絵伝断簡
聖徳太子〈しょうとくたいし・574-622〉は、推古天皇〈すいこてんのう・554-628〉の摂政として、官位十二階・十七条憲法を制定して新しい国家体制の基礎となし、遣隋使の派遣による大陸文化の導入、さらには深く仏教に帰依して四天王寺・法隆寺を建立するなど、古代の政治・文化に偉大な功績を残したことで、わが国歴史上最も著名な人物の1人である。死後まもなくして、その遺徳をしのび礼拝・供養する聖徳太子信仰が起こり、日本仏教の祖として、時代・宗派を超えて篤く信奉された。まず中納言藤原兼輔〈ふじわらのかねすけ・877-933〉が、延喜17年〈917〉に『聖徳太子伝暦』(2巻)を編んだ。これは太子の事跡を編年体に叙述したもの。太子受胎の伝説から薨去まで太子の生涯にわたり、さらには大化改新(645年)や太子一門・蘇我氏の滅亡まで含んでいる。また延久元年〈1069〉には、絵師秦致貞によって『聖徳太子伝暦』を絵巻化した障子絵をはじめ、これに準拠した彫刻や画像・絵伝がつぎつぎに制作された。なかでも太子絵伝は、四天王寺絵堂の壁画、法隆寺絵殿の障子のほかに、絵巻や掛幅などさまざまな形式で制作された。本図は絵巻の一部。この部分は、用明天皇2年〈587〉7月、用明天皇〈ようめいてんのう・?-587〉崩御、玉体が御陵の河内磯長中尾陵に葬られる時の、悲嘆に暮れる太子・近臣を描いた場面。右上にみえる漢文は、『聖徳太子伝暦』の一部を書写、場面説明に代えたもの。天地がわずか18㎝あまりの絵巻であった。もとは、同じく天地が15.9㎝と短い京都・堂本家旧蔵の10巻本の「聖徳太子伝絵」の系統を引くものであったと推定される。小画面ながら、練達したのびやかな描線で描写される。
秋七月天皇奉葬於河内磯長中尾山陵
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Picture Scroll Depicting the Deeds of Prince Shotoku
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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