聖徳太子絵伝断簡
聖徳太子〈しょうとくたいし・574-622〉は、推古天皇〈すいこてんのう・554-628〉の摂政として、官位十二階・十七条憲法を制定して新しい国家体制の基礎となし、遣隋使の派遣による大陸文化の導入、さらには深く仏教に帰依して四天王寺・法隆寺を建立するなど、古代の政治・文化に偉大な功績を残したことで、わが国歴史上最も著名な人物の1人である。死後まもなくして、その遺徳をしのび礼拝・供養する聖徳太子信仰が起こり、日本仏教の祖として、時代・宗派を超えて篤く信奉された。まず、中納言藤原兼輔が、延喜17年〈917〉に『聖徳太子伝暦』(2巻)を編んだ。これは、太子の事跡を編年体に叙述したもの。太子受胎の伝説から薨去かで、太子の生涯にわたる。さらに大化改新(645年)や太子一門・蘇我氏の滅亡までをも含んでいる。また、延久元年〈1069〉には、絵師秦致貞によって『聖徳太子伝暦』を絵巻化した障子絵が描かれ、以来、これに準拠した彫刻や画像・絵伝がつぎつぎに制作された。なかでも太子絵伝は、四天王寺絵堂の壁画、法隆寺絵殿の障子のほかに、絵巻や掛幅など、さまざまな形式で制作された。本図は、絵巻形式の一部と思われる。この部分は、推古天皇元年〈593〉、太子を皇太子になす場面とその左上には同年建立の四天王寺の五重塔の基壇が描かれる。これは、住吉家伝来の掛幅装の太子絵伝(3幅・東京国立博物館蔵、南北朝時代)のうち第2幅の最上段の画面と全く同一。本断簡は、おそらくこの掛幅装を模写して絵巻に作り替えたものの断簡と推測される。江戸時代に入ってからの模写であろう。
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Segment of Illustrated Story on Prince Shotoku
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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