北野天神縁起絵巻断簡

- 年代
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制作年 AD14
- タイトル
- キタノテンジンエンギエマキダンカン
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
醍醐天皇の御代、右大臣にあった菅原道真〈すがわらのみちざね・845-903〉は、昌泰4年〈901〉正月、筑紫国太宰権帥に左遷された。突然の辞令は、「醍醐天皇を廃し、皇弟斉世親王(妻は道真の娘)を擁立しようとした」という、左大臣藤原時平の讒言によるもの。赴任してわずか2年の後、道真は同地で不遇の死を遂げた。その後、時平をはじめ、一門に不慮の災難に遭遇、ことに清涼殿の落雷で多くの朝臣が頓死するという事件は、時の公卿たちの不安を掻き立てた。これらはすべて道真の怨霊のなせる祟りと人々を恐怖の底に追いやった。このような風潮の中に、道真の霊を祀る、いわゆる天神信仰が起こり、諸国の天神社の建立、天神画像の制作、天神名号の揮毫などがさかんになった。道真の伝記、道真の怨霊説話、北野天満宮の創立由来、天神信仰による奇跡談などを含んだ「北野天神絵巻」も多く制作された。20種以上の遺品が現存する。これは、そのうちの建治・延文奥書本(正嘉本系)の断簡で、上巻第三段「大戒論序」の絵の部分に当たる。道真は、少年のころ、当時の碩学菅原是善〈これよし・812-880〉について勉学に励んでいた。13~14歳のころになると、天賦の才能が花開き、詩才も是善のそれを越えるありさまであったという。そうしたある日、天台座主・安慧〈あんね・795-868〉は、円仁の遺志を受けた8巻・13篇の講説をまとめて、是善にその序文を乞いに是善邸を訪れた(五条袈裟を懸けた僧姿が安慧)。が、是善(上畳に坐す直衣姿)は、弱冠21~22歳の文章生・道真を推挙。蒔絵の硯箱を前に、手にした懐紙に、序文を案じながら筆を染めているのが道真である。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Segment of Kitano Tenjin Engi Emaki
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
来歴
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