西行法師行状絵巻
- 人物
-
詞書烏丸光広
- 年代
-
制作年 江戸時代前期(17世紀)
- タイトル
- サイギョウホウシギョウジョウエマキ
- 寸法
- 縦32.8
- 材質・技法・形状
- 紙本着色
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
西行の出家から入滅までの生涯を描いた物語絵巻である。「西行物語絵巻」は数種類の写本があり、大きく「広本系」「略本系」「采女本系」「永正・寛永本系」の4種に分けられるが、本絵巻は、「采女本系」にあたる。巻末に、明応九年(1500)に槐下桑門(三条公敦(1439–1507))が記した奥書、すなわち、海田采女佑相保が絵を描き、詞書を公敦が書写したことが記される写本群であり、宮中に伝わった「禁裏御本」(海田采女佑相保筆)を原本とする。
詞書は、巻第2のみ、烏丸光広(1579–1638)が独自の書風で認めている。同じく光広の命によって俵屋宗達(生没年不詳)が描いた2組の「西行物語絵巻」である、旧毛利家本(出光美術館所蔵)、旧渡辺家本(文化庁所蔵)との関係性が興味深い。宗達はたらしこみを用い、着衣の形状など随所に個性を発揮しているのに対し、本絵巻は原本である「禁裏御本」の姿を忠実に伝える模本とされる。確かに、西行が那智滝を拝む場面の、緑青と群青で鮮やかに描かれた山岳と、垂直に注ぎ落ちる滝壺の空間表現が力強く、室町時代の原本の姿が想起される。(松谷)
文字景 —— センチュリー赤尾コレクションの名品にみる文と象」展(2021.4 慶應義塾ミュージアム・コモンズ)図録 掲載
西行〈さいぎょう・1118-90〉は、もともと鳥羽上皇〈とばじょうこう・1103-56〉の北面武士であったが、23歳で出家して諸国を行脚、放浪の歌人として生存中からその歌才を謳われ、『新古今和歌集』の代表的歌人の1人として声価を得ていた。没後もその声望は高まり、その生涯を歌と文で綴る『西行物語』が生まれ、さらに画面をともなった絵巻もつくられるようになった。詞書を藤原為家〈ふじわらのためいえ・1198-1275〉、絵を土佐経隆〈とさつねたか・生没年未詳〉と伝える「西行物語絵巻」(2巻・徳川黎明会および萬野家蔵)が最古の遺品(鎌倉時代・13世紀)として知られる。その後、明応9年〈1500〉に海田采女佑源相保〈かいだうねめのすけみなもとのすけやす・生没年未詳〉が描いた絵巻(4巻本)が作られた。その原本は現存しないが、その模写本がいくつか伝存する。そのうち、寛永7年〈1630〉9月、権大納言烏丸光広〈からすまるみつひろ・1579-1638〉がこの海田采女佑本を禁裏御所から借り出し、詞書はみずからが揮毫、画面を俵屋宗達〈たわらやそうたつ・生没年未詳〉に模写せしめたものが2種現存する(出光美術館本=毛利家旧蔵と、渡辺家蔵本)。これらはいずれも絵は宗達独自の画風で描かれ、かならずしも原本(海田采女佑本)に忠実とはいえない。これらに対してこのセンチュリー文化財団蔵本は、細緻を尽くした精妙な模写本、すなわち禁裏御本(海田采女佑本)の原本を再現するものとして注目される。ただ、巻第二の詞書のみを光広自身がみずからの書風で書写する。光広の「西行物語絵巻」に抱く執念をみる思いである。現世の無常と仏道専念による頓証菩提の思想をあらわした詞書からはじまり、西行の死を惜しむ場面まで、4巻あわせて57場面が描かれる。
[奥書釈文] 「右此四巻画図者/海田采女佑源相保/所筆也段々文字乃愚翁書焉/明応竜集庚申上陽月中浣日/槐下桑門」
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Illustrated Handscrolls of the Life of the Buddhist Monk Saigyō
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 4巻
来歴
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