春屋宗園筆鳥窠和尚自画賛
- 人物
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作者春屋宗園
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- シュンオクソウエンヒツチョウカオショウジガサン
- 材質・技法・形状
- 紙本墨画
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
中国・唐代に、道林〈どうりん・741-824〉という禅僧がいた。禅宗牛頭法融(ごずほうゆう)の法系に連なる僧で、秦望寺に1本の松樹の大木がり、その枝葉が繁茂してちょうど鳥の巣のようになっている。道林はその枝上がすこぶる気に入り、毎日そこで坐禅をしたという。ゆえに、鳥窠(ちょうか)禅師と呼ばれていた。そこに、唐代を代表する詩人白居易(白楽天)が尋ね来た。そこでいきなり、「仏法の大意は如何に」との質問。それに対して禅師は、「諸悪莫作衆善奉行」(悪いことはするな、つとめて善いことをせよ)と答える。さらに白居易は「そんな当たり前のことは3歳の童子でも知っている。そんな答えを聞くために来たのでない」と反問。再び禅師は「3歳の童子ですら悪いことをしてはいけないということを知っている。ただ残念ながら、80歳の老人になってもそれを実行することは出来ないのだ」と。白居易はそこで悟ったという。また、鳥窠道林には招賢会通(じょうけんえつう)という弟子がいた。発心して鳥窠に入門、侍者として日夜精進したが、なかなか師の法が理解できなかった。やむなく、鳥窠のもとを辞して諸方に仏法を求めて去らんとした時のこと。「法を求めて出家したにもかかわらず、和尚は法を説いてくださらない」、「法なら、ここにも少しばかりはあるぞ」の問答のあと、「では、和尚の仏法とは如何なるものでしょう」との問いに、鳥窠は、布毛を吹いて示した(着ていた服の表面のこまかい毛をつまんで、ふっと吹いた)。それを見た道林は禅の極意を悟って、師匠の跡を嗣いだという。この謂われから、招賢は布毛侍者(ふもうじしゃ)と呼ばれた(以上、『景徳伝灯録』巻四より)。この賛語は、その問答。「窠吹布毛」の4字を中央に配置、その下に描いた絵像ということからして、鳥窠和尚の画像と判断される。筆者・春屋宗園〈しゅんおくそうえん・1529-1611〉は、桃山から江戸時代初期にかけての臨済宗大徳寺派の僧。永禄12年〈1569〉3月、大徳寺第111世の住持となる。その後、堺に移り、天正8年〈1580〉には、同地の大通庵(茶人・津田宗及の創建)の開山に招かれ、また、南宗寺(三好長慶の創建)の第3世となり、堺の豪商・茶人たちと親交を結ぶ機縁となった。やがて、大徳寺に戻り、聚光院・大仙院を歴住、天正13年には、請われて三玄院(石田三成・浅野長政開創)の開山になった。また、小堀遠州・古田織部・千道安・千宗旦・藪内紹智ら、多くの茶人参禅の師でもあった。このほか、千利休・今井宗久らとも交遊、生涯を通じて茶の湯の実践者となった。遺墨は多く、その筆跡は、朴訥とした味わい深い独自の書風である。この自画賛は、「慶長八祀卯暦暮秋下浣」の年紀により、慶長8年〈1603〉9月、春屋が75歳の時の作と知る。「挙げて僧(招賢会通)鳥窠和尚に問いて云く、「如何に是れ仏法」。窠(鳥窠道林)、布毛を吹く。/慶長八祀卯暦暮秋(9月)下浣(下旬)/前龍峰(前大徳寺住持)春屋叟これを書す。」
挙僧問鳥窠和尚云如何是仏窠吹布毛慶長八祀卯暦暮秋下浣前龍峰春屋叟書之(印「春屋」)(印「宗園」)
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Portrait of Priest Choka by Shun-oku Soen
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
- 付属品
- 外箱(二重箱)/包裂
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