Object

毛利元就像

Keio Object Hub
人物
年代
制作年 AD19
タイトル
モウリモトナリゾウ
材質・技法・形状
紙本着色
コレクション
所管
ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001686-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
写真 コート ヘッドギア フォント 持っている

戦国時代の武将・毛利元就〈もうりもとなり・1497-1571〉の肖像画。元就は、大永3年〈1523〉に父・弘元から家督を継承後、尼子氏から大内義隆の下に属し、大内氏の芸備制圧に尽力、功名を立てた。そこで元就は、2男元春を吉川氏に、三男隆景を小早川氏に養子に入れるという政略をもって芸備地方の実権を掌中にした。弘治元年〈1555〉、大内氏を倒した陶氏を攻略、周防・安芸両国を治め、つづいて備後・備中・石見、さらには出雲をも制圧して、中国10ケ国の覇者となった。さらには豊前・伊予まで勢力を拡げ、西国の大大名に成長した。が、元亀2年〈1571〉75歳で病没した。元就の画像は、永禄5年〈1562〉9月仁如集堯の賛をもつ元就66歳の寿像(山口・豊栄神社蔵)、天正19年〈1591〉2月凞春龍喜が賛をした画像(山口・毛利博物館蔵)、さらに無賛の画像(島根・鰐淵寺蔵)の3種(いずれも重要文化財)が知られる。本図は、その中の鰐淵寺蔵本の模写本である。直衣、侍烏帽子の姿で、左腰に腰刀を差し、右手には蝙蝠扇を持ち、上畳に坐す。左脇には太刀を置く。老練な戦国武将の風貌をよくあらわしている。模写したのは江戸時代後期の画家、田中訥言〈たなかとつげん・1767-1823〉である。訥言は、尾張の出身で、京都に出て土佐光貞に土佐派の画法を学ぶがあきたらず、みずから大和絵の古典を研究、模写を通じてその復興を志し、ついには復古大和絵の祖として、浮田一蕙や渡辺清など多くの門弟を育てた。本図も、その古典研究に明け暮れのころの作品であろう。上部に元就の人となりを伝える賛文が書写されるが、文の作者、筆者ともに不明である。ちなみに、鰐淵寺蔵本には賛語はない。

毛利元就ハ気力旺盛ニシテ智略アリ大志ヲ懐キテ小成ニ安ンセス遂ニ大功ヲ奏スルニ至レリ天文十二年陶晴賢其主大内義隆ヲ弑ス元就耐忍持久遂ニ晴賢ヲ誅シテ仇ヲ報シ更ニ進シテ周防ノ地ヲ収ム永禄五年出雲ヲ征スルヤ勢猛烈ニシテ向フ所敵ナシ将軍義輝元就ニ勧メテ尼子ト和ヲ講セシム元就固辞シテ聴メス益々兵ヲ督シテ雲州ヲ侵シ遂ニ大捷ヲ奏ス雲伯因隠ノ諸州悉ク毛利氏ニ帰ス元禄三年正親町天皇即位ノ大礼アリ当時皇室ノ財用足ラスシテ礼ヲ挙クルコト能ハス元就其賞ヲ献シテ其式礼ヲ完クスルヲ得シム帝大ニ嘉賞シ大膳大夫ヲ授ケ菊桐紀号ヲ賜フ元就元亀二年卒ス年七十五

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001686-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

画像
ライセンス

所管・分類など

所管
ミュージアム・コモンズ
キャンパス 三田
URL
基本分類
美術

グループのオブジェクト

OPEN DATADESIGN

Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。

オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Portrait of Mouri Motonari

物理的特性

重量と数量
員数 1幅
材質・技法・形状
材質 軸頭:漆塗り
付属品
外箱、メモ、巻止め

識別情報

タイトル(英題)
Portrait of Mouri Motonari

物理的特性

重量と数量
員数 1幅
材質・技法・形状
材質 軸頭:漆塗り
付属品
外箱、メモ、巻止め