群書治要 巻第30断簡
『群書治要』50巻は、唐の太宗(598–649)の命で貞観五年(631)に編纂された政治参考書で、中国で失われ日本に残存した「佚存書」である。その最古写本が、東京国立博物館蔵で国宝の11世紀写と考えられる摂家九条家旧蔵本13巻である。平安期の漢籍で一般的な巻子装ながら、紫・縹・茶などの染紙や、飛雲を漉き込んだ平安時代特有の料紙を混用し、金泥の罫線を施すなど、漢籍には珍しい装飾性を有しており、特別な清書本であったと考えられる。
本断簡は東博本が欠いている巻第30部分で、飛雲紙の13行と薄茶色の8行の本文は繋がらず、その間の21行は天理図書館に蔵されている。これは三条西実隆(1455–1537)が延徳二年(1490)十一月十六日に伏見宮邦高親王(1456–1532)より賜った、伝藤原行成(972–1027)筆1巻(『実隆公記』同日条)の一部を、戦後に2分割した際に、2色継ぎになる様に仕立てたためである。1966年の田山方南(1903–80)箱書を有している。(佐々木)
[参考文献]尾崎康「群書治要とその現存本」『斯道文庫論集』第25輯、1991年3月
文字景 —— センチュリー赤尾コレクションの名品にみる文と象」展(2021.4 慶應義塾ミュージアム・コモンズ)図録 掲載
中国・唐の太宗(たいそう)の時、廷臣の魏徴(ぎちょう)らが勅を奉じて、群書の中から帝王の治世にあたって参考とすべき内容を抄録して編纂したのが『群書治要(ぐんしょちよう)』全50巻である(貞観5年〈631〉成立)。引用書目は、経・史・子部など中国古代の68種の典籍に及ぶが、それらの中で現在伝わらないものが少なくないばかりか、『群書治要』そのものが、中国では早くから散佚していた。わが国には、すでに奈良時代に伝来していたと見られており、宮中において講読されていたことが『続日本後紀』や『日本三代実録』に窺える。平安末期の右大臣・九条兼実〈くじょうかねざね・1149-1207〉の日記『玉葉』の中にも、兼実が『群書治要』を読むために、大外記・清原頼業をして訓点を点じさせていたとの記事がみえる(養和元年〈1181〉8月25日・同年11月14日・寿永元年〈1182〉7月19日条)。いま東京国立博物館で収蔵する『群書治要』の最古の写本(13巻・国宝)は、かつて九条家に秘襲されたもので、この断簡もその一具と推定される。現存の九条家本は、巻二二・二六・三一・三三・三五・三六・三七・四二・四三・四五・四七・四八・四九の13巻で、いく人かの寄合書きと認められるが、この断簡は九条家本にない巻三十「晋書(しんじょ)下」の一部を書写したものである(前半と後半の間に本文の欠脱箇所あり)。料紙は、前半は飛雲紙(藍色や紫色に先染めした繊維を、空に雲が浮かんでいるように漉き込み散らした装飾料紙)、後半は濃茶色の染め紙で、配色よく継ぎ合わされている。穏やかな楷書の書風に加え、料紙の特徴から、11世紀半ばころの書写と考えられる。
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識別情報
- タイトル(英題)
- Part of Volume 30 of Governing Principles of Ancient China
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 外箱(二重箱)
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