Object

万里小路藤房像

Keio Object Hub
年代
制作年 AD18
タイトル
マデノコウジフジフサゾウ
材質・技法・形状
絹本着色
コレクション
所管
ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001590-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
写真 アート ヘッドギア モノクロ 掌院

土佐光信〈とさみつのぶ・生没年未詳〉筆の万里小路藤房画像(No.01591-0001)の模写本である。原本は由緒ある品で、光信の子孫・土佐光孚〈とさみつざね・1780-1852〉が成瀬正胤(なるせまさたね・享和年間〈1801~04〉ころの画家)に宛てた書状や、文化3年〈1806〉の住吉広行〈すみよしひろゆき・1755-1811〉の折紙(鑑定書)などが付属する。この原本の伝来途次において、土佐派の絵師が先祖の遺作を前に模写を企図、それが本図ではなかったか。着彩まで古画を思わせる復元模写といえる。万里小路藤房〈までのこうじふじふさ・1295-?〉は、万里小路宣房〈のぶふさ・1258-1348〉の長子。後醍醐天皇〈ごだいごてんのう・1288-1339〉の近くに仕え、正二位・中納言に叙せられる。元弘元年〈1331〉後醍醐天皇の倒幕謀反(元弘の乱)に参画するが、まもなく捕らえられて翌年には常陸国に配流となった。が、元弘3年、鎌倉幕府滅亡により、京都に帰還、建武新政府に出仕した。が、翌建武元年に突然出家、そして逐電。その後の消息は不明という。藤房については、後醍醐天皇近臣の硬骨漢で、建武新政の誤りを直訴したが受け容れられなかったがゆえに出家したという説があるなど、かずかずの逸話が残されている。

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001590-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

画像
ライセンス

所管・分類など

所管
ミュージアム・コモンズ
キャンパス 三田
URL
基本分類
美術

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OPEN DATADESIGN

Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。

オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Portrait of Madenokoji Fujifusa

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

識別情報

タイトル(英題)
Portrait of Madenokoji Fujifusa

物理的特性

重量と数量
員数 1幅