歌仙絵(柿本人麿)(近衛信尹賛)
- 人物
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賛者近衛信尹
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- カセンエ(カキノモトノヒトマロ)
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
藤原公任〈ふじわらのきんとう・996-1041〉撰になる『三十六人撰』は、当時の秀歌の規範として貴族たちの文芸の座右に重んじられた。やがて、平安時代末期・12世紀になると、これら歌人の画像を描いてその代表歌1首を書き添えた歌仙絵が生まれた。なかでも「佐竹本三十六歌仙絵巻」「上畳本三十六歌仙絵巻」が有名である。後世、歌道の流行を歌仙信仰にともなって、絵巻形式の巻子本から、各歌仙ごと色紙に貼り込んだ色紙帖が考案された。歌仙と歌が一体となったものや、歌と歌仙像を分離して左右一対に組み合わせ、歌仙像は当時の名だたる絵師に、歌は能書の公卿に書写を依頼して制作された色紙帖が知られる。本図は、三十六歌仙を左右に番えた歌合の形式につくられた色紙帖から剥離されて、掛幅に仕立てられたもの。像主・柿本人麿は、7世紀後半から8世紀初頭にかけて活躍した宮廷歌人。『古今和歌集』に「歌の聖」と賞賛されて以来、歌道における歌聖と崇められ、人々から特別の信仰を集め、人麿を祀る人麿影供も生まれた。色紙帖や歌仙絵巻においては、巻頭を飾る人物であった。賛は、近衛信尹〈このえのぶただ・1565-1614〉の筆。信尹は、桃山時代の公卿で、摂関家近衛家の当主。文禄元年〈1592〉、秀吉の朝鮮出兵にみずからが総指揮をとるべく、渡航従軍を企てたが失敗。同3年、義兄たる後陽成天皇の勅勘に触れ、薩摩国最南端、坊の津に配流となった。後に帰洛し、還俗後、関白・氏長者さらには准三宮となった。歌道・書道に秀で、ことに書においては、近衛流(三藐院流)と称され、本阿弥光悦・松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」の1人に挙げられ、不羈奔放の性格のままに、豪放自在、すこぶる個性的な書をかいた。この賛の渇筆を交えた豪胆な筆跡もその典型を示すものである。画の筆者は不明ながら、顔貌の表情も豊かで、専門絵師の筆によるものと思われる。「ほのぼのと明石の浦の朝霧に嶋かくれ行く舟をしぞ思ふ」
左柿本人丸ほの/\とあかしのうらの朝霧に嶋かくれ行舟をしぞ思ふ
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Portrait of Kakinomoto no Hitomaro
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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