歌仙絵(凡河内躬恒)
- 人物
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作者天木宗忡賛者智仁親王(八条宮・桂宮)
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- カセンエ(オオシコウチノミツネ)
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
藤原公任〈ふじわらのきんとう・996-1041〉撰になる『三十六人撰』は、当時の秀歌の規範として貴族たちの文芸の座右に重んじられた。やがて、平安時代末期・12世紀になると、これら歌人の画像を描いてその代表歌1首を書き添えた歌仙絵が生まれた。なかでも「佐竹本三十六歌仙絵巻」「上畳本三十六歌仙絵巻」が有名である。後世、歌道の流行を歌仙信仰にともなって、絵巻形式の巻子本から、各歌仙ごと貼り込んだ色紙帖なども考案された。本図は、寸法から推して、もとは6曲1双(12図)×3組(36図)の屏風につくられていたものではなかったか。これはその1図。凡河内躬恒〈おおしこうちのみつね・生没年未詳〉は平安時代前期の歌人で、三十六歌仙の一人。『古今和歌集』の撰者の一人でもある。束帯の正装は、当時の公卿の朝服であった。上部の和歌(『古今和歌集』巻第七所収の躬恒の歌)は、智仁親王〈としひとしんのう・1579-1629〉の自筆。誠仁親王〈さねひとしんのう=陽光太上天皇・1552-86〉の第六皇子で、豊臣秀吉の厚遇を受け、八条宮(のちの桂宮)を創立した。和漢の学・絵画・茶の湯・蹴鞠など広範囲にわたる学識と趣味を持った人で、ことに書道は、持明院基孝〈じみょういんもとたか・1520-1611〉から入木道の秘伝をうけている。くねくねとした線に特徴がある筆跡で、父帝の書風を受け継いでいる。左下にみえる「天木宗忡」の朱文印は、絵師の印章で、「花下遊楽図屏風」(サントリー美術館蔵)と同一印。伝記は不明ながら、この歌仙図の賛者との関係から活躍時期が絞れる意味から、資料的価値も高い作品といえる。
凡河内躬恒住よしのまつを秋おきかぜふくからにつしら聲うちそふ波る
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Portrait of Oshikoshi no Mitsune
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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