三十六歌仙色紙(角倉素庵賛)
- 人物
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賛者角倉素庵
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- サンジュウロッカセンシキシ(スミノクラソアンサン)
- 材質・技法・形状
- 紙本着色
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
藤原公任〈ふじわらのきんとう・996-1041〉撰になる『三十六人撰』は、当時の秀歌の規範として貴族たちの文芸の座右に重んじられた。やがて、平安時代末期・12世紀になると、これら歌人の画像を描いてその代表歌1首を書き添えた歌仙絵が生まれた。なかでも「佐竹本三十六歌仙絵巻」「上畳本三十六歌仙絵巻」が有名である。それらは絵巻形式の巻子本であったが、のちには各歌仙ごと色紙に貼り込んだ色紙帖が考案された。いずれも、歌仙像は当時の名だたる絵師に、歌は能書の公卿に書写を依頼して制作されたものである。これは、雲母を一面に刷いた色紙を用いて華麗な彩色で描いた歌仙図の上に、角倉素庵が各人の歌を書写したもので、「左」「右」に区別しているところから、もともとは、三十六歌仙を歌合の形式で調じた三十六歌仙色紙帖であった。現在、紀貫之の1枚を欠く。角倉素庵〈すみのくらそあん・1571-1632〉は、江戸時代初期の京都の豪商角倉家の当主。通称を与一(よいち)、字は玄之(はるゆき)、素庵はその号。朱印貿易によって巨万の富を得た父・了以〈りょうい・1554-1614〉の家業を継ぎ、京の町を流れる高瀬川の舟運を開いたのをはじめ、土木・貿易に手を拡げ、朱印船の派船は16回にも及んだという。大坂冬の陣では、徳川方の軍需品の調達・運搬にあたり、江戸城改築においても強い影響力を発揮した。一方、和漢の学に造詣が深く、数寄の道にも通暁した風雅の人であった。とくに書においては、寛永の三筆の1人、本阿弥光悦〈ほんあみこうえつ・1558-1637〉の書風を究め、「光悦流随一」の能書を謳われ、光悦とそっくりの筆跡を残している。この色紙の書にも明らかである。画の筆者は不明ながら、当意即妙、伝統の様式に則った絵像、流麗な筆さばきは狩野派の絵師の彩管を思わせる。画像の周辺に銀泥の霞形を引いて、画面に変化をもたせている。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Shikishi of Thirty-Six Poets (inscription by Suminokura Soan)
物理的特性
- 重量と数量
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員数 35枚
- 付属品
- 外箱、包裂、マット
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初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。