柿本人麿像

- 人物
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作者伝粟田口隆光賛者智仁親王(桂宮)
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- カキノモトヒトマロゾウ
- 材質・技法・形状
- 絹本着色
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
右上の色紙形に柿本人麿の和歌二首を書き付けたのは、書風やその筆致から桂宮智仁親王〈かつらのみやとしひとしんのう・1579-1629〉と判明する。智仁親王は正親町天皇〈おおぎまちてんのう・1517-93〉の孫。一時、豊臣秀吉〈とよとみひでよし・1536-98〉の養子であった。その書風は後柏原院(ごかしわばらいん)流のゆったりとした和様体。くねりが目立つのが特徴である。右の色紙形には、歌意にちなんで梅樹が描き込まれている。また、左の色紙形には草花の文様が鮮やかな色彩で埋め尽くされている。その歌は、1首目は『古今和歌集』(仮名序・巻第六)および『拾遺和歌集』(巻第一)に、2首目は『拾遺和歌集』(巻第六)に、それぞれ人麿の詠歌として収められるものである。画は、中国古代の官制に基づく大巾頂(だいきんちょう)という帽子をかぶり、硯箱を前に、人麿が脇息(きょうそく)に寄りかかり詠歌を思案している姿を入念に描いている。筆者を粟田口隆光〈あわたぐちたかみつ・生没年未詳〉と伝えるが、かれは室町時代(15世紀前半)の大和絵の画家であるため、賛と時代が合わない。当時の狩野派の絵師の作であろうか。宋朝服飾の絵姿に描くのは、菅原道真の「渡唐天神」(ととうてんじん・道真が渡海して、禅宗の法を学んだと伝える説話とをもとにつくられた姿)に倣うものであろう。
烏梅能花其鞆見盈須久堅農天喜留雪乃南倍転布礼々半あまとぶやかりのつかひにいつしかもならのみやこにことづてやらむ
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Portrait of Kakinomoto no Hitomaro
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 翻字覚書/解説墨書
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