束帯天神像
左大臣藤原時平〈ふじわらのときひら・871-909〉の讒訴によって、配所の筑紫国(福岡県)大宰府に左遷、同地で不遇の死を遂げた菅原道真〈すがわらのみちざね・845-903〉の怨霊を鎮めるためにおこった天神信仰は、長い歴史の中で多くの絵画遺品を生み出した。天神画像は、礼拝像として描かれた道真の絵姿で、その形式は、束帯天神(笏を手に帯剣した文官の正装である束帯姿で描かれるもの)と、渡唐天神(冠をつけ中国の道服姿で梅の一枝を手挟んで立つもの)とに大きく二分できるが、典拠とした説話や、背景となった天神信仰の性格の変容などによって、さまざまなヴァリエーションがある。本幅は、綱を編んだ円座に坐す束帯天神像。綱敷天神像とも呼ばれる。両手で笏を握り締め、眼を大きく見開いて歯をあらわにした忿怒の形相に描かれる怒天神像。左斜めを向き、笏の上を左手で、下を右手で握り締めている姿が特徴である。顔や手足に比して束帯部分が大きく描かれ、大柄な天神を思わせる。上方右の色紙形の下絵には月と松、左には梅枝が金泥で描かれるなど、豪華な1幅であったことを窺い知ることができる。色紙形には、天神画像にしばしば取り上げられる漢詩2首が書かれている。「離家三四月…」は、道真が太宰府へ流される途上に詠んだとされる五言絶句。『菅家後集』に収録され、各種の「天神縁起」の西下配流の段にも採られる。「昨為北闕被悲士…」の七言絶句は、後人の擬作であるが、天神画像の賛にしばしば用いられる漢詩である。「家を離れて三四月、落つる涙は百千行、万事皆夢の如し、時々彼の蒼を仰ぐ。/昨は北闕に悲しみを被る士為り、今は西都に恥を雪む尸(屍)と作る。生恨死しての歓其れ我を奈せん、今は須く皇基を護るに足らんことを望むべし。」
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Image of Tenjin
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
- 材質・技法・形状
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材質 軸頭金属(銅か)
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。