雲谷等顔筆束帯天神像
- 人物
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作者(雲谷等顔)
- 年代
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制作年 (AD17)
- タイトル
- ウンコクトウガンヒツソクタイテンジンゾウ
- 材質・技法・形状
- 紙本墨画
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
左大臣藤原時平〈ふじわらのときひら・871-909〉の讒訴によって、配所の筑紫国(福岡県)大宰府に左遷、同地で不遇の死を遂げた菅原道真〈すがわらのみちざね・845-903〉の怨霊を鎮めるためにおこった天神信仰は、長い歴史の中で多くの絵画遺品を生み出した。天神画像は礼拝像として描かれた道真の絵姿で、その形式は、束帯天神(そくたいてんじん・笏を手に帯剣した文官の正装である束帯姿で描かれるもの)と、渡唐天神(ととうてんじん・冠をつけ中国の道服姿で梅の一枝を手挟んで立つもの)とに大きく二分できるが、典拠とした説話や、背景となった天神信仰の性格の変容などによって、さまざまなヴァリエーションがある。本図は、背後に梅枝が描かれ、右手に笏、左手に太刀を握る束帯天神像。道真が西下の途次、舟の艫綱(ともづな)を円座状に敷いて休息したという伝説に基づいた図様で、綱敷天神(つなしきてんじん)と呼ばれる(帆網を敷いたことにより網敷天神とも)。淡墨で一気に描き上げた略画風の作品。天神の表情には怒りの相は見えない。梅樹の下に見える「雲谷」「等顔」の印により、雲谷等顔〈うんこくとうがん・1547-1618〉の筆と知る。雲谷等顔は、安土桃山時代に活躍した画家。もともと毛利輝元〈もうりてるもと・1553-1625〉に仕えた武士であったが、画事にすぐれ、輝元より雪舟等楊〈せっしゅうとうよう・1420-1506〉の旧居雲谷庵を賜わる。以後、出家剃髪して、雲谷等顔(雪舟等楊の「等」字を継承)と称した。雪舟正系を標榜し、遺品には雪舟様の水墨山水図が多い。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Image of Tenjin by Unkoku Togan
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 墨書(石見守長勝について)
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