渡唐天神像(花山院長親賛)
- 人物
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賛者花山院長親
- 年代
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制作年 AD15
- タイトル
- トトウテンジンゾウ
- 材質・技法・形状
- 絹本着色
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
左大臣藤原時平の讒訴によって、配所の筑紫国(福岡県)太宰府に左遷、同地で不遇の死を遂げた菅原道真〈すがわらのみちざね・845-903〉の怨霊を鎮めるためにおこった天神信仰は、長い歴史の中で多くの絵画遺品を生み出した。天神画像は、礼拝像として描かれた道真の絵姿で、その形式は、束帯天神(笏を手に帯剣した文官の正装である束帯姿で描かれるもの)と、渡唐天神(冠をつけ中国の道服姿で梅の一枝を手挟んで立つもの)とに大きく二分できるが、典拠とした説話や、背景となった天神信仰の性格の変容などによって、さまざまなヴァリエーションがある。 これは、渡唐天神像の1つ。渡唐天神は、天神信仰が禅宗と結びついて生まれたもので、博多の崇福寺に出現して聖一国師(円爾弁円〈えんにべんえん・1202-80〉)に禅を問うた天神が、国師の薦めにより、宋・徑山の仏鑑禅師(無準師範〈ぶじゅんしばん・1178-1249〉)のもとに一夜のうちに渡って法衣を授けられたという説話にもとづく図様(『両聖記』応永元年〈1394〉ころ成立)である。これは、仙冠・道服を着け、袈裟袋を左肩から右腰に懸けて、拱手(手を前で組む)し、梅の一枝をたずさえて立つ、正面向きの典型的な渡唐天神像。本図が注目されるのは、図上の賛語が、この図様のもととなった説話『両聖記』の著者、花山院長親〈かざんいんながちか・?-1429〉のものであること。末尾の款記「壬寅孟夏畊(=耕)雲山人明魏拝書」によって、応永29年〈1422〉5月の制作となる。画の筆者については明らかではないが、髪や顎髭などの細緻な描線、肩にかかった紗巾(薄絹の頭巾)の透ける表現、優れた技法の絵師によるものを思わせる。数多い天神画のなかでも資料的に価値の高い遺品である。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Image of Tenjin
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 巻止め
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