渡唐天神像
- 人物
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作者伝赤脚子
- 年代
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制作年 AD15
- タイトル
- トトウテンジンゾウ
- 材質・技法・形状
- 紙本着色
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
左大臣藤原時平〈ふじわらのときひら・871-909〉の讒訴によって、配所の筑紫国(福岡県)大宰府に左遷、同地で不遇の死を遂げた菅原道真〈すがわらのみちざね・845-903〉の怨霊を鎮めるためにおこった天神信仰は、長い歴史の中で多くの絵画遺品を生み出した。天神画像は、礼拝像として描かれた道真の絵姿で、その形式は、束帯天神(そくたいてんじん・笏を手に帯剣した文官の正装である束帯姿で描かれるもの)と、渡唐天神(ととうてんじん・冠をつけ中国の道服姿で梅の一枝を手挟んで立つもの)とに大きく二分できるが、典拠とした説話や、背景となった天神信仰の性格の変容などによって、さまざまなヴァリエーションがある。 これは渡唐天神像の1つ。渡唐天神は、天神信仰が禅宗と結びついて生まれたもので、博多の崇福寺(そうふくじ)に出現して聖一国師(しょういちこくし=円爾弁円〈えんにべんえん・1202-80〉)に禅を問うた天神が、国師の薦めにより、宋・徑山(きんざん)の仏鑑禅師(ぶっかんぜんじ=無準師範〈ぶじゅんしはん・1178-1249〉)のもとに一夜のうちに渡って法衣を授けられたという説話(『両聖記』・室町時代初期成立)にもとづく図様である。仙冠(せんかん)・道服(どうぶく)を着け、袈裟袋を左肩から右腰に懸けて、拱手(きょうしゅ・手を前で組む)し、梅の一枝をたずさえて立つ、正面向きの典型的な渡唐天神像。図上の賛語は、臨済宗聖一派(しょういちは)の僧で、東福寺・南禅寺の住職をつとめた愚極礼才〈ぐきょくれいさい・1370-1452〉が永享8年〈1436〉に著した「大政威徳天神参径山仏鑑禅師立像記」である。さきの『両聖記』に倣ったものであろう。画面右下には、礼才と同じ頃に活躍し、東福寺の画僧・明兆〈みんちょう・1351-1431〉の弟子と推定される画家赤脚子(せっきゃくし)の印が捺される。これは、後世の飛び込み印と思われるが、画風から室町時代(15~16世紀)の作品とみてさしつかえないであろう。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Image of Tenjin crossing to Tang China
物理的特性
- 付属品
- 2重箱
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。