白隠筆達磨図

- 人物
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作者白隠慧鶴
- 年代
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制作年 AD18
- タイトル
- ハクインヒツダルマズ
- 材質・技法・形状
- 紙本墨画
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
白隠慧鶴〈はくいんえかく・1685-1768〉は、江戸中期の禅僧。駿河国駿東郡原宿(沼津市原)に生まれる。14歳で郷里原の松蔭寺において出家。以後、沼津大聖寺の息道、美濃大垣瑞雲寺の馬翁、伊予松山正宗寺の逸伝、越後高田英巌寺の生鉄、信濃飯山の正受庵の道鏡慧端、など全国の諸師に歴参、修行行脚の旅を続けた。享保2年〈1717〉松蔭寺の住持となる。その後は同寺を中心に活動、大衆に禅をやさしく説き、臨済宗中興の祖と仰がれに至る。やがて、伊豆三島に龍澤寺を開創したが、明和5年〈1768〉12月、松蔭寺にて84歳の生涯を閉じた。白隠は、著述のかたわら、生涯に1万点にもおよぶ書画を書いたといわれる。とくに釈迦・観音・達磨などを好んで描き、禅画を確立したことでも名高い。本図は達磨大師の面貌を描き、その上部に「達磨大師」と大書する。達磨は、インドから中国に渡り、崇山の少林寺に入り面壁9年の修行を果たし、禅宗の祖として広く崇拝され、古来、「隻履達磨」「渡海達磨」「廬葉達磨」などさまざまな姿に描かれてきた。この達磨図も白隠の得意とする図様で、遺墨も多いが、長い修行でのびた髭、大きな耳、鋭い眼光、豪快さと厳しさの中に、一見、ユーモラスに見えるのは、独特な書風と相まって、白隠の禅風を示すものであろう。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Image of Bodhi-Dharma by Priest Hakuin
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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