Object

(頼山陽筆)詩書屏風 (左隻)

Keio Object Hub
人物
年代
制作年 AD19
タイトル
ライサンヨウヒツシショビョウブ
材質・技法・形状
紙本墨書 大縁に銀箔押し
コレクション
所管
ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-000952-0002
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
手書き フォント 材料特性 矩形 平行

頼山陽〈らいさんよう・1780-1832〉は、江戸時代後期の儒学者。諱は襄(のぼる)。字は子成、三十六峰外史とも号した。大坂に生まれ、のち広島へ移り、叔父杏坪〈きょうへい・1756-1834〉に就いて修学した。少年時からすでに詩文の才を示した。寛政9年〈1797〉、江戸に出て尾藤二洲〈びとうじしゅう・1745-1814〉に経学・国史を学ぶ。帰藩後、常軌を逸した行動が目立つようになる。同12年〈1800〉脱藩、潜伏先の京都にから連れ戻されて自邸に幽閉され、廃嫡となった。しかしこのことがかえって、読書に耽り、著作に励む機縁となる。文化8年〈1811〉再び出奔、京都に出て篠崎小竹〈しのざきしょうちく・1781-1851〉・大塩平八郎〈おおしおへいはちろう・1793-1837〉ら名士と交わった。生涯仕官せず、文政6年〈1823〉には京都三本木に山紫水明処(さんしすいめいしょ)を建て、古書画を愛する文雅で自由な境涯をすごし、詩人・史論家として指導的地位を占めた。当時、儒者の主流であった唐様書道に長じ、比較的多くの遺品が伝存する。七言絶句十二首からなる山陽の「十二媛絶句」は文政10年〈1827〉の詠作とされるが、この屏風にはそのうち10首が書写されている(「仏御前」「千手前」が抜けて「菖蒲」「伊賀局」が入る)。文政10年の執筆とすれば、山陽48歳であった。行書体を中心に整然とした書きぶりは、唐様の能書を遺憾なく発揮する。

静女高風冠内家。何唯彤管逞才華。相公百事皆無缺。不折一枝深紫花。紫式部暗記長慶亦等閑。蝦鬚一捲解龍顔。誰知雑纂臨摹手。当喚釵裾李義山清少納言太液梅霖緑漲惟。欲挑蒲葉意俳佪。備心莬水流還浅。*使東児騎渡来菖蒲舞衫歌扇帯新愁。強把栄枯等水漚。侘日厳霜摧万木。幸然埜草早知秋。妓王垂髫従走足胼胝懐裏尤憐泣凍児雪底鷹雛爪如鐵養渠他日撃梟鴟常盤宝刀犀鎧助嬌籹。誰道木蘭夗女郎。料峭東風還作麗。不教艶萼浅春陽鞆絵(印)(印)

オブジェクトの概要

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-000952-0002
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

画像
ライセンス

所管・分類など

所管
ミュージアム・コモンズ
キャンパス 三田
URL
基本分類
美術

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オブジェクトの詳細

物理的特性

重量と数量
員数 六曲一双
付属品
包裂(黄袋)やぶれあり

物理的特性

重量と数量
員数 六曲一双
付属品
包裂(黄袋)やぶれあり