那波活所筆七言絶句
- 人物
-
作者那波活所
- 年代
-
制作年 AD17 制作年 江戸時代(17世紀)
- タイトル
- ナバカッショヒツシチゴンゼック
- 寸法
- 130.5×51.8
- 材質・技法・形状
- 紙本墨書
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
那波活所〈なわかっしょ・1595-1648〉は、江戸初期の儒者。初名は信吉、のちに方。字は道円(どうえん)、活所は号。晩年は姓を祐、名を觚と改名している。播州姫路の人。慶長15年〈1610〉に上洛して藤原惺窩〈ふじわらせいか・1561-1619〉に師事、朱子学を修め、同門の林羅山〈はやしらざん・1583-1657〉・堀杏庵〈ほりきょうあん・1585-1643〉などとともに四天王にあげられた。寛永12年〈1635〉に徳川頼宣〈とくがわよりのぶ・1602-1671〉の儒臣として抱えられ、『寛永諸家系図伝』の編纂に召されたが、眼病を患い帰洛、慶安元年〈1648〉正月死去した。私費を投じて活字の出版事業に尽くした。これは、紀伊国海草郡の弁天山を詠じた活所自詠の詩。和歌山城主である頼宣の家臣の邸宅がその山麓に点在したという、城内の要所であった。求められて詠じ、その稿本として揮毫したものである。基本点画はまさに中国書法そのもの。儒学に励むかたわら習書に余念のなかったことを証明する作品である。
南紀登辨才山城外登高是辨才膄田傑宅四方開幸無峴首牛山涙応為催詩日々来活所稿
那波活所(1595-1648)は、羅山・堀杏園・松永尺五ともに惺窩門の四天王とされる学者で、古活字版『白氏文集』『和名類聚抄【わみょうるいじゅうしょう】』の刊行でも知られる。紀州徳川家に仕えた。本作品はその紀州において、和歌山郊外の弁財天山【べんざいてんやま】に登って詠んだ詩。詩文集『活所遺藁』巻6に「登弁才山」の題で収める。「豊かな田畑や藩士たちの邸宅を見晴らして、かつて中国では峴首山【けんしゅざん】や牛山【ぎゅうざん】に登って人生の無常を悲しんだ人たちがいたが、私はそういうこともなく、日々好きな詩を作るためここに来るのだ」と述べる。書は、やや横長のフォルムで、縦横にすっきりと通った線質がすがすがしい。どことなく惺窩に似ているが、それをさらに力強くした雰囲気がある。第4句「為」を書き落として後から補入しているが、揮毫作品にはときどき見られ、これがあるからといって必ずしも未完成あるいは下書きということではない。【翻刻】南紀登弁才山」城外登高是弁才、腴田傑宅四方開、」幸無峴首牛山涙、応為催詩日々来」活所稿(堀川貴司)「唐様前夜―林羅山とそのコミュニティ」展(2024.1 慶應義塾ミュージアム・コモンズ)図録 掲載
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Seven-Character Quatrain by NABA Kassho
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。