藤田東湖筆五言絶句
- 人物
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作者藤田東湖
- 年代
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制作年 AD19
- タイトル
- フジタトウコヒツゴゴンゼック
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
藤田東湖〈ふじたとうこ・1806-55〉は江戸時代末期の水戸藩儒臣。彰考館総裁・藤田幽谷〈ふじたゆうこく・1774-1826〉の二男。名は彪(たけき)、字は斌卿(ひんけい)、通称は虎之介。東湖はその号。文政2年〈1819〉に江戸に出て、亀田鵬斎〈かめだぼうさい・1752-1826〉・太田錦城〈おおたきんじょう・1765-1825〉に儒学を、岡田十松〈おかだじゅうまつ・1765-1820〉に無念流の剣術を学ぶ。父・幽谷の没後家督を継ぎ、彰考館編修を経て同総裁代理となる。藩主の後継問題では徳川斉昭〈とくがわなりあき・1800-1860〉の擁立に奔走、これを実現した。その後は斉昭の側用人として活躍、藩政改革に尽くした。が、弘化元年〈1844〉斉昭が幕府から謹慎を命じられると東湖も幽閉の身となった。嘉永6年〈1853〉、ペリーの来航が契機となって斉昭は復帰、これにともなって東湖も返り咲いた(48歳)。東湖の攘夷論に梅田雲濱〈うめだうんぴん・1815-1859〉・佐久間象山〈さくましょうざん・1811-1864〉・西郷隆盛〈さいごうたかもり・1828-1877〉ら参集した志士も多かった。が、安政2年10月の大地震で、屋敷内に戻った母を助けようとして、鴨居の下敷きで亡くなった。50歳であった。これは、唐の詩人・李紳の「憫農(農を憫れむ)」と題する五言絶句。何気なく口にする飯は、農民の丹精の結晶であることを自覚すべき、と誡めに詠んだ詩で、古来中国でも、人民の苦労に思いを致すことが為政者の第一要件であるとして、この詩が支持されている。東湖の信条にも通じていたのであろうか。その書は、典型の唐様書法。が、特に点画、結構に東湖の癖が顕著である。筆を縦横に駆使した力強い筆致が魅力である。「禾を鋤いて、日、午に当たる。汗は滴る、禾下の土。誰か織らん、盤(食器)中の餐(飯)。粒々、皆辛苦なるを」
(印「自強不息」)鋤禾日当午汗滴禾下土誰織盤中餐粒々皆辛苦東湖彪書(印「藤田彪印」)(印「彬卿」)
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Five-Syllable Quatrain by Fujita Toko
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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