屋代弘賢筆臨書巻

- 人物
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作者屋代弘賢
- 年代
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制作年 AD19
- タイトル
- ヤシロヒロカタヒツリンショカン
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
屋代弘賢〈やしろひろかた・1758-1841〉は、江戸時代後期の和学者・幕臣。初名は詮虎(あきとら)、ついで詮賢(あきかた)、さらに弘賢と改め、70歳以降詮丈(あきたけ)とした。通称は太郎、上野の不忍池畔に居住したところから、号を輪池という。屋代家は代々幕府の御家人で、弘賢は7歳のときに幕府の右筆森尹祥(もりまさよし)から持明院流の筆意を受けた。和歌を冷泉為村〈れいぜいためむら・1712-74〉、国学を塙保己一〈はなわほきいち・1746-1821〉に学び、柴野栗山〈しばのりつざん・1736-1807〉に随行して近畿諸社寺の調査を行い、大いに知見を広げた。のちに、幕府の右筆に進む。文化8年〈1811〉朝鮮通信使来聘の際には、国王への返書を執筆している。また、蔵書家としても知られており、不忍池畔の屋敷内に書庫を建てて、和漢の典籍五万冊を所蔵し、不忍文庫(しのばずぶんこ)と称した。没後、大部分は阿波国文庫(徳島藩主蜂須賀家の文庫)に譲られ、一部は『池底叢書』(宮内庁書陵部蔵)となった。この3巻は、智永(ちえい)の帰田賦(後漢・張衡〔ちょうこう〕作)を楷書に、王羲之(おうぎし)の蘭亭序を行書に、同じく尺牘集を草書に、それぞれ臨書したもの。いずれも、鳥の子紙に金泥の霞引きをほどこした料紙に書写する。需めに応じて、調度手本として筆を執ったものと思われる。弘賢が喜寿77歳の執筆。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Scroll of Tracing Copies from Chinese Books by Yashiro Hirokata
物理的特性
- 重量と数量
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員数 3巻
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