紺紙金字法華経断簡(金峯山埋納経)
- 人物
-
作者藤原道長筆
- 年代
-
制作年 長徳四年(998)
- タイトル
- コンシコンジホケキョウダンカン(キンプセンマイノウキョウ)
- 寸法
- 13.8×46.5
- 材質・技法・形状
- 紺紙金字
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫
蔵王権現(ざおうごんげん)を祀る吉野の金峰山は、古来、金を胎蔵する山という伝説をもち、御嶽(みたけ)とも呼ばれた。そして、釈尊入滅後56億7000万年後に弥勒菩薩が出現して衆生を救うという末法(まっぽう)思想を背景に、貴族の篤い信仰を集めた。そこで山頂には経塚が築かれ、弥勒再生を願って書写された写経が埋納された。時の御堂関白藤原道長も極楽浄土を祈願して紺紙金泥経を書写供養し、金銅の経筒に納めて埋めた。元禄4年〈1691〉に発掘され、その実態が明らかになった。経筒の銘文から、寛弘4年〈1007〉八月に奉納されたことが判明した。その写経は、藤原道長自筆で書写され、『法華経』8巻、『無量義経』『観普賢経』各1巻、『阿弥陀経』1巻、『弥勒上生経』『下生経』『成仏経』各1巻、『般若心経』1巻の合わせて15巻で、長徳4年〈998〉の書写の分も含む。このうち現在まで残存しているものは、金峰神社・東京国立博物館・五島美術館などに分蔵されている。これは、そのうちの一紙。『法華経』巻第五「勧持品第十三」の部分。本紙の下半分が朽損しているのは、600年もの長い間土中にあって腐食したためである。重い金泥の筆を謹厳に運ぶ。その優れた和様の筆跡は、道長の能書ぶりを示すものである。
釈迦入滅から56億7千万年後に弥勒菩薩が現れる時まで、自ら書写した経巻を残すため、寛弘四年(1007)八月十一日に左大臣藤原道長(966–1027)が、法華経等15巻を納めた経筒を奈良吉野の金峯山に埋めたことが、その日記『御堂関白記』に見えている。元禄四年(1691)頃に発見された、願文が刻まれた金銅製の経筒は、京都国立博物館に蔵され、国宝に指定されている。内部にあった経巻も、金峯山寺や東京国立博物館等に分蔵され、多くが重要文化財となっている。
これは『妙法蓮華経』「勧持品第十三」の内の1紙分23行で、東京国立博物館蔵の同経奥書等から、長徳四年に道長が書写したことが判明する。下半分がないのは、経筒に溜まった水が約700年を掛けて料紙を溶かしたためである。金泥文字の表面部分が接する紙の裏面に貼り付き、表面の文字よりも燦めいている。自筆日記とは異なる謹直な文字からは、道長の息遣いや願いが感じられるようである。(佐々木)
[参考文献]『藤原道長–極めた栄華・願った浄土–』(展覧会図録)京都国立博物館、2007年
文字景 —— センチュリー赤尾コレクションの名品にみる文と象」展(2021.4 慶應義塾ミュージアム・コモンズ)図録 掲載
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Part of The Lotus Sutra (Found at Mount Kinpu)
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1紙
- 付属品
- マット、布製たとう
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