伴林光平筆菅家遺誡

- 人物
-
作者伴林光平
- 年代
-
制作年 AD19
- タイトル
- バンバヤシミツヒラヒツカンケイカイ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
伴林光平〈ばんばやしみつひら・1813-64〉は、幕末の尊王攘夷派の国学者。早くに仏門に入り、かたわら国学を志して、加納諸平〈かのうもろひら・1806-1857〉・伴信友〈ばんのぶとも・1773-1846〉について学んだ。その後還俗。尊皇愛国の思い深く、大和地方を歩いて山陵調査に傾注、安政4年〈1857〉には法隆寺の中宮寺尼宮に召し出され、神代史・和歌を講じた、という。文久3年〈1863〉、武力による討幕を図る過激な集団である天誅組が組織された時に、光平もこれに参画した。が、同年8月18日の政変により、尊夷派が京都から追放される中、光平も捕らえられ、翌年2月16日、京都六角の獄中にて慚死した。52歳であった。この一幅は、『菅家遺誡(かんけいかい)』の一部を抄写したものである。『菅家遺誡』(2巻33条。室町時代成立)は、公家として守るべきことを菅原道真〈すがわらのみちざね・845-903〉に仮託してまとめられた教訓書。江戸末期に国学者の和魂漢才意識や尊皇攘夷思想に乗じて広くもてはやされた。国学者伴林光平がこれを書写した背景もおのずから理解される。独特の光平の個性あふれる書法が顕著である。
凡歌什詠吟之弄者、鬼神交遊之梯階。夫婦偶和之基也。鬼神交遊万品生育之則。挙国純一千物繁栄焉夫婦偶和者、則民生淳質旱水各趣也。故伴黄門者、述鵲霜之情。柿三品者、賦諸山之霊、挙一之麗趣也。録菅家遺誡語伴林光平(印)
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Kanke Ikai by Banbayashi Mitsuhira
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。