柿本人丸字号

- 人物
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作者山崎宗鑑
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- カキノモトヒトマルジゴウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
山崎宗鑑〈やまざきそうかん・1465-1553〉は、室町・戦国時代の連歌師。近江(滋賀県)の人で、本名は支那範重、通称弥三郎。はじめ、九代将軍足利義尚〈あしかがよしひさ・1465-89〉に仕え、右筆としても活躍した。が、義尚の没後、武門を離れて25歳で出家。宗鑑と称し、明応年間〈1492~1501〉ころに山城国の山崎の地に草庵を構えていたことから山崎の姓に呼ぶ。飯尾宗祇〈いいおそうぎ・1421-1502〉、宗長〈そうちょう1448-1532〉らと親しく交わり、連歌・俳諧など、文事に耽った。連歌の発句を独立させた5・7・5の17音で構成される、今日の俳諧の素地を築いた人物として知られる。『万葉集』の代表的歌人であった柿本人麿の存在は、平安時代以降、神格化されて歌神として崇められた。歌道上達を祈る公卿たちの間に、人麿を絵姿に描いた人麿の画像を床に掛けて礼拝する風習が生まれた。人麿影供という。絵に描くことを簡略化して、「柿本人丸(麿)」と文字に書いたものを代替えにしたものも工夫された。これはその代表例である。上部に人麿の代表歌として、『古今和歌集』の序に見える「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく舟をしぞおもふ」の歌を添える。その筆跡は、まさしく大師流そのものである。
ほのぼのとあかしのうらの朝霧に柿本人丸嶋がくれ行船をしぞおもふ
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Sacred Name of Kakinomoto-no-Hitomaro by Yamazaki Sokan
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
- 付属品
- 二重箱 裂覆有り 古筆了信極(昭和15) 了佐極札 折紙1
来歴
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。