山崎宗鑑筆三社託宣

- 人物
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作者山崎宗鑑
- 年代
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制作年 AD15
- タイトル
- ヤマザキソウカンヒツサンシャタクセン
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
山崎宗鑑〈やまざきそうかん・?-1539?〉は、室町・戦国時代の連歌師。近江の人で、本名は支那範重、通称弥三郎。はじめ、9代将軍足利義尚〈あしかがよしひさ・1465-89〉に仕え、右筆としても活躍した。が、義尚の没後、武門を離れて出家。宗鑑と称し、明応年間〈1492~1501〉ころに山城国の山崎の地に草庵を構えていたことから山崎の姓に呼ぶ。飯尾宗祇〈いいおそうぎ・1421-1502〉、宗長〈そうちょう・1448-1532〉らと親しく交わり、連歌・俳諧など、文事に耽った。連歌の発句を独立させた5・7・5の17音で構成される、今日の俳諧の素地を築いた人物として知られる。これは、右から順に、石清水八幡宮・伊勢神宮・春日神社の三社の社名と神託(神のお告げ)を書いたもの。室町時代ころには、能書の手によりしばしば揮毫され、広く尊崇されて礼拝用として床の間に掛けられた。書は、宗鑑流と呼ばれる、くねるような筆跡、大胆な筆運びに特徴がある、大師流の影響をうけた独特の癖のある書風を示している。行をまたがって連綿する一種の曲書きの遺品としても貴重である。「八幡大菩薩鉄丸を食すと雖も、心汚るる人の物を受けず。銅焰を生ずと雖も、心穢るる人の処に到らず。天照皇太神宮謀計して眼前の利潤を為すと雖も、必ず神明の罰に当たる。正直にして一旦の依怙に非ずと雖も、終には日月の憐みを蒙る。春日大明神千日の注連を曳くと雖も、邪見の家に到らず。重服深厚為りと雖も、慈悲の宅に赴くべし」
八幡大菩薩雖食鉄丸不受心汚人之物雖生銅焰不到心穢人之処天照皇太神宮謀計雖為眼前利潤必当神明之罰正直雖非一旦依怙終蒙日月之憐春日大明神雖曳千日注連不到邪見之家雖為重服深厚可赴慈悲之宅
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Sacred Names: Oracles of Three Shrines
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 杉箱
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