小早川秀秋筆短冊

- 人物
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作者小早川秀秋
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- コバヤカワヒデアキヒツタンザク
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
小早川秀秋〈こばやかわひであき・1582-1602〉は、豊臣秀吉〈とよとみひでよし・1537-98〉の正室である北政所の兄・木下家定〈きのしたいえさだ・1543-1608〉の第五子。幼少より秀吉の養子となり、羽柴秀俊(はしばひでとし)と称す。文禄2年〈1593〉、秀吉に拾丸(ひろいまる=秀頼)が誕生したため、小早川隆景〈たかかげ・1537-97〉の養子となる。慶長2年〈1597〉六月、秀秋と改名。慶長の役では総大将として朝鮮に出兵するが、軽挙の科により帰国を命ぜられた。関ヶ原の戦いでは、はじめ石田三成〈いしだみつなり・1560-1600〉に属しながら、戦い半ばで徳川家康〈とくがわいえやす・1542-1616〉の東軍に寝返り、大勝利に導く。戦後、その功により、備前・備中・美作合わせて50万石を領するが、同7年〈1602〉10月18日、わずか21歳で死去した。この短冊の歌は、牡丹花肖柏〈ぼたんかしょうはく・1443-1527〉の家集『春夢草(しゅんむそう)』に所収の詠歌。秀秋は当時流行の三条流(さんじょうりゅう・三条西実隆〈さんじょうにしさねたか・1455-1537〉を祖とする書流)を学び、能書であった。伝統的な書法に裏付けられた、見事な筆致である。
肖柏老人自影の讃に盃を携侍しこゝろをよめる: 盃をかたふけあへす世のうき目 みえぬ山路にいつかきにけむ秀秋
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Tanzaku by Kobayakawa Hideaki
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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