細川幽斎筆短冊

- 人物
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作者細川幽斎
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- ホソカワユウサイヒツタンザク
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
細川幽斎〈ほそかわゆうさい・1534-1610〉は、桃山時代の武将。大和守三淵晴員〈みつぶちはるかず1500-70〉の二男(一説には12代将軍足利義晴〈あしかがよしはる・1511-50〉の子とも)。本名は与一郎(よいちろう)、のち藤孝(ふじたか)と改めた。出家後は、幽斎のほか玄旨(げんし)の号がある。丹後田辺城主。足利氏や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、常に時の権力者に重用された。有職故実や和漢の学問に深い造詣があり、ことに和歌においては三条西実枝〈さんじょうにしさねき・1511-79〉から古今伝授を受けて、歌壇の中心人物であった。烏丸光広(からすまるみつひろ)をはじめ多くの門弟がおり、大きな影響力を持った。また、茶道を武野紹鷗〈たけのじょうおう1502-55〉に学び、風雅を好んだことも知られる。家集『衆妙集(しょうみょうしゅう)』のほか、『百人一首抄(百人一首の注釈)』など多くの著作を残した。「玄旨」と署名するこの短冊は、天正10年〈1582〉に出家(49歳)して以降のもの。『衆妙集』に所収されており、「関白殿渡御の時、おなじ心を」という詞書が添えられている。この「関白殿」は豊臣秀吉〈とよとみひでよし・1536-98〉と推定されるが、天正13年〈1585〉7月11日補任以後の詠歌か。書は栄雅流に属し、正統派の書法を流麗な筆致で書いている。
寄神祝:かゞみこそしるしなりけれくもりなき心を神とあふぎ来ぬれば玄旨
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Tanzaku by Hosokawa Yusai
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
来歴
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