紺紙金銀交書摩訶僧祗律断簡
藍で染めた濃紺紙に、金泥・銀泥で1行ごとに交互に謹厳な筆致を駆使して書写した紺紙金銀交書経。釈尊の極楽浄土が七宝で荘厳されていたと経典に説くところから、写経を金と銀の文字、銀の界、瑠璃の紺紙と七宝の中の3種で装飾をほどこす。『正倉院文書』の天平10年〈738〉の「経巻納櫃帳」に、「神符経(七千仏神符経)一巻金銀交字」とあり、また、慈覚大師円仁〈794ー846〉の『入唐求法巡礼行記』によると、開成5年〈840〉7月に中国・五台山の経蔵閣において「紺碧紙(=紺紙)金銀字大蔵経六千余巻」を見たという。こうしたことから、金銀交書の写経は、もとは中国で考案され、遣唐船などによってわが国に将来されたものと思われる。今日、こうした紺紙金銀交書経の遺品はきわめて少なく、わずかに、天暦3年〈949〉の奥書をもつ「紺紙金銀交書法華経巻第七」(広島・浄土寺蔵)とやや時代が降って平安中期(11世紀初)ころの書写と推定される「紺紙金銀交書法華経巻第二」(五島美術館蔵)・「紺紙金銀交書法華経」(八巻・延暦寺蔵)が古い遺品として知られる。これに次ぐのが「紺紙金銀字一切経」(藤原清衡〈ふじわらのきよひら・1056-1128〉発願。通称「中尊寺経」)である。この金銀交書経は、『摩訶僧祗律』(比丘尼戒本)の断簡。『摩訶僧祗律』(40巻)は、律部の経典で、内容から単独での書写は考えられず、「金銀交書一切経」として書写されたとするのが妥当であろう。とすると、「中尊寺経」の一部であった可能性が高い。後世、民間に流出して1紙ごとに分断されたうちの1紙であろう。
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ライセンスなど
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Segment of Makasogi-ritsu
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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