冷泉為恭筆短冊

- 人物
-
作者冷泉為恭
- 年代
-
制作年 AD19
- タイトル
- レイゼイタメチカヒツタンザク
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
冷泉為恭〈れいぜいためちか・1823-64〉は、幕末の画家。狩野永泰(かのうえいたい)の子。京都の人。冷泉姓に憧れ、自ら冷泉三郎と名乗る。岡田家の養子となり、従五位下・近江守に任ぜられた。形骸化した狩野派の画風を嫌い、田中訥言〈たなかとつげん・1767-1823〉が提唱した「復古大和絵運動」に賛同。有職故実に精通し、王朝文化の再現につとめた。晩年は「伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)」を模写するため酒井家に出入りしたことから、攘夷派の浪士の標的となる。文久2年(1862)京都から脱して落飾、心蓮房光阿(しんれんぼうこうあ)と号し、卍字坊(まんじぼう)、山蔭子(さんいんし)、南山隠士(なんざんいんし)などと称した。しかし元治元年(1864)5月、長州藩士によって殺害された。42歳であった。為恭は仏画や絵巻、種々の古筆を模写し、大和絵の伝統的画法および上代様の書法を体得した。とりわけ、その書は平安朝の古筆の真髄に迫るものがある。歌題の「ふみて(文手)」は、筆の意。「山蔭」の署名から、40歳で出家してから没年までの2年間の、最晩年の遺墨と知る。逃亡生活のさなか、画業にかける為恭の気迫が偲ばれる一葉である。
ふみてひとふでもあだには書じ一筆をいのちにかふる筆の命毛山蔭
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Tanzaku by Reizei Tamechika
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 材質・技法・形状
-
材質 墨流し(藍・紫)
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。