尊朝法親王筆短冊

- 人物
-
作者尊朝法親王
- 年代
-
制作年 AD16
- タイトル
- ソンチョウホウシンノウヒツタンザク
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
尊朝法親王〈そんちょうほうしんのう・1552-97〉は、伏見宮邦輔親王〈ふしみのみやくにすけしんのう・1513-63〉の第6王子。弘治元年〈1555〉青蓮院に入室、永禄元年〈1558〉正親町天皇〈おおぎまちてんのう・1517-93〉の猶子となり、同5年〈1562〉、11歳で薙髪して尊朝と号した。翌6年〈1563〉、親王宣下。のち四天王寺の別当に補せられ灌頂を遂げるが、戦国の乱世を避けるため、大和の多武峯(とうのみね)に退去した。天正13年〈1585〉には、織田信長〈おだのぶなが・1534-82〉の比叡山焼打ち以来廃墟となっていた延暦寺を再興し、自ら167代天台座主に就いた。慶長2年〈1597〉病のため座主を辞し、まもなく死去した。尊朝法親王は、尊円流(青蓮院流)から独立して尊朝流の一派をたてられる能書家で、筆法を分解図示した『墨池掌譜(ぼくちしょうふ)』、書法伝授書『入木道口伝(じゅぼくどうくでん)』などの著作も残した。さらに、筆跡を模刻した手習用手本『六々色紙形(ろくろくしきしがた)』『比叡山再興勧進帳(ひえいざんさいこうかんじんちょう)』などが刊行された。この短冊は、金泥と金砂子で下絵を施した装飾料紙に、青蓮院流のゆったりとおおらかな筆致を示している。
寄神祝:君がためさぞまもるらむ日のもとを神の御国と聞につけても尊朝
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Tanzaku by Princely Priest Soncho
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。