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日野輝資筆短冊

Keio Object Hub
人物
年代
制作年 AD16
タイトル
ヒノテルスケヒツタンザク
材質・技法・形状
紙本墨色
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001088-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
ジェスチャー フォント アート まつげ 手書き

日野輝資〈ひのてるすけ・1555-1623〉は、広橋国光〈ひろはしくにみつ・1526-68〉の子。初名は兼保(かねやす)。永禄2年〈1559〉日野家に迎えられ、日野晴光〈はるみつ・1518-55〉の養嗣子となって輝資と改名した。天正15年〈1587〉に正二位・権大納言に至る。しかし、慶長7年〈1602〉正月7日、後陽成天皇〈ごようぜいてんのう・1571-1617〉により、突如として白馬節会(あおうまのせちえ)への出仕を止められ、息男資勝(すけかつ)とともに出奔。翌8年〈1603〉11月に一切の職を辞し、同12年に出家した。法名を知云(ちうん)・唯心(ゆいしん)と称す。日野家は代々、儒学・歌道をもって仕えており、輝資も出家後は、余生を文雅の道に送った。徳川家康〈とくがわいえやす・1543-1616〉が在京の時は、侍して学を講じたという。書は、道澄流の書き手として知られる。この短冊は「知云」の署名より、出家後、54歳以降の筆。一行目が中心寄りで、行が左に流れる癖がみてとれる。歌題の下と署名の上に金泥界が引かれている。

寄雲恋:いかにしてこと伝やらん思ふあたり 行かふ雲にたよりもとめて知云

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001088-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

画像
ライセンス

所管・分類など

所管
斯道文庫
キャンパス 三田
URL
基本分類
美術

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OPEN DATADESIGN

Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。

オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Tanzaku by Hino Terusuke

物理的特性

重量と数量
員数 1幅
材質・技法・形状
材質 紙本墨色

識別情報

タイトル(英題)
Tanzaku by Hino Terusuke

物理的特性

重量と数量
員数 1幅
材質・技法・形状
材質 紙本墨色