近衛信尹筆短冊
- 人物
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作者近衛信尹
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- コノエノブタダヒツタンザク
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
近衛信尹〈このえのぶただ・1565-1614〉は従一位・関白前久〈さきひさ・1536-1612〉の子。初名は信基(のぶもと)、天正10年〈1582〉に信輔(のぶすけ)、慶長4年〈1599〉に信尹と改名。号は三貌院(さんみゃくいん)。摂関家の嫡男として異例の昇進を重ね、21歳にして従一位・左大臣に至った。文禄元年〈1592〉豊臣秀吉〈とよとみひでよし・1537-98〉の朝鮮出兵に従軍渡海を企てたが阻まれ、後陽成天皇〈ごようぜいてんのう・1571-1617〉の勅勘を蒙って薩摩に配流の身となる。3年間坊津(ぼうのつ)に留まったのち、赦されて慶長元年〈1596〉に帰洛。同4年〈1599〉に信尹と改名し、その後、関白・氏長者、さらには准三宮となった。歌道・書道に秀で、ことに書は近衛流(三藐院流)と称され、多くの追随者を輩出した。本阿弥光悦〈ほんあみこうえつ・1558-1637〉、松花堂昭乗〈しょうかどうしょうじょう・1584-1639〉らとともに「寛永の三筆」の一人に挙げられる。この短冊は、慶長8年〈1603〉9月14日、京都・方広寺の大仏舞台にて行われた当座の和歌会で信尹が詠んだ一首(信尹39歳)。秋の月の美しさを、有名な姨捨山(おばすてやま・長野県更級郡)の仲秋の名月にたとえて詠んでいる。
慶長八、九、十四、於大仏舞台当座:なぐさむは一ながらもをばすての月もかくやとおもふばかりに信尹
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Tanzaku by Konoe Nobutada
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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