毛利輝元筆短冊

- 人物
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作者毛利輝元
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- モウリテルモトヒツタンザク
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
毛利輝元〈もうりてるもと・1553-1625〉は、戦国時代の武将。隆元〈たかもと・1523-63〉の長男、元就〈もとなり・1497-1571〉の孫。幼名は幸鶴丸(こうつるまる)。永禄8年〈1565〉、室町幕府13代将軍足利義輝〈あしかがよしてる・1536-65〉の一字を拝領して少輔太郎輝元と称した。織田信長〈おだのぶなが・1534-82〉に対抗し、中国地方攻略に赴いた羽柴秀吉〈はしばひでよし・1537-98〉と交戦したが、本能寺の変で信長が没すると、秀吉は講和を唱え、輝元もそれに応じた。その後は秀吉に従い、数々の戦功があった。慶長3年〈1598〉には五大老に列した。しかし、同5年〈1600〉、関ケ原の戦いで敗れると、徳川家康〈とくがわいえやす・1542-1616〉から減封を受けることとなり、剃髪して幻庵宗瑞(げんあんそうずい)と号した。同9年〈1604〉には家康の許しを得て、長門の萩に新城を築いて移り、その後は萩藩の財政整理につとめた。輝元は歌道の心得もあり、教養ある文化人としても知られる。その書は近衛前久〈このえさきひさ・1536-1612〉の弟である道澄〈どうちょう・1544-1608〉の道澄流の流れをくむ。これは、署名に「宗瑞」とあることから、出家した慶長5年以後の晩年のもの。連歌における発句の短冊である。
石清水すみのぼる名か秋の月 宗瑞
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Tanzaku by Mouri Terumoto
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 古筆了栄極
来歴
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。