Object

Calligraphic Talisman

Keio Object Hub
Person
Date
制作年 AD17
Title
ニチレンシュウダイマンダラ
Materials, techniques and shape
紙本墨書
Collections
Depository
Keio Museum Commons Campus Mita
Ref. number
AW-CEN-000671-0000
License
CC BY Images license
Creditline

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
Classification
Art
AI Tagging
Handwriting Font Line Art Pattern

日蓮〈にちれん・1222-82〉は、『法華経』こそが釈迦入滅後における衆生を救う教えであるという考え方をもって、「南無妙法蓮華経」の7字の題目を信じ唱えること、または受持することによって釈迦の救いを得ることができると説いた。そこで、紙幅中央にこの題目を大書し、周囲に諸仏の名を配置する一定の形式が考案された。これが日蓮宗における大曼荼羅(大曼荼羅本尊)といわれるものである。筆線の末端を長く引く独特の筆法で書写される。日蓮宗では、この筆跡の流れを光明点と称して、仏陀の慈悲の光があまねく照らされる姿を象徴するものとされる。この形状から、俗に髭題目とも呼ばれる。日蓮以来、時代を通じて代々の日蓮宗の高僧が信徒・弟子に与えるためにしばしば揮毫して、きわめて多くの遺品が伝存する。これは、日遠〈にちおん・1572-1642〉の自筆。日遠は6歳で出家して日重〈にちじゅう・1549-1623〉に師事、33歳で身延山久遠寺の第22世となる。慶長13年〈1608〉の慶長法難(浄土宗との宗論)では、幕府の採決を非法として、徳川家康から処刑されようとしたが、日遠に帰依するお万の方(家康の側室)の取りなしで赦された。当時、日重・日乾とともに、日蓮宗における中興の三師と尊称される高僧で知られた。この大曼荼羅は、題目を中心に、四方に、持国天・増長天・広目天・毘沙門天の四天王の名を大書するのが特徴である。「元和五年〈1619〉己未十月十三日」の年紀により、日遠48歳の書写と知る。日精〈にっせい=了玄院・1600-83。大石寺第17世〉に授与したものであった。

Rights

Ref. number
AW-CEN-000671-0000
License
CC BY
Creditline

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

Images
license

Depository and ID

Depository
Keio Museum Commons
Campus Mita
URL
Classification
Art

Components

OPEN DATADESIGN

Details

Identifiers

Title (EN)
Calligraphic Talisman

Physical description

Weights and quantities
Quantity 1幅

Identifiers

Title (EN)
Calligraphic Talisman

Physical description

Weights and quantities
Quantity 1幅