Object

Image of Tenjin By Priest Gocho

Keio Object Hub
Person
Date
制作年 AD19
Title
ゴウチョウヒツソクタイテンジンゾウ
Materials, techniques and shape
絹本淡彩
Collections
Depository
Keio Museum Commons Campus Mita
Ref. number
AW-CEN-001712-0000
License
CC BY Images license
Creditline

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
Classification
Art
AI Tagging
Brown Plant Botany Art Creative arts

左大臣藤原時平の讒訴によって、配所の筑紫国(福岡県)太宰府に左遷、同地で不遇の死を遂げた菅原道真〈すがわらのみちざね・845-903〉の怨霊を鎮めるためにおこった天神信仰は、長い歴史の中で多くの絵画遺品を生み出した。天神画像は、礼拝像として描かれた道真の絵姿で、その形式は、束帯天神(笏を手に帯剣した文官の正装である束帯姿で描かれるもの)と、渡唐天神(冠をつけ中国の道服姿で梅の一枝を手挟んで立つもの)とに大きく二分できるが、典拠とした説話や、背景となった天神信仰の性格の変容などによって、さまざまなヴァリエーションがある。本図は、絹本に水墨淡彩で描かれた束帯天神像。両手で笏の両端を握り立てる束帯天神像。衣冠のうしろに垂れ下がる纓に梅の文様があしらわれ、背後の松樹のうしろには梅枝がのぞいている。ぼかした墨の筆致が見事である。筆者の豪潮寛海〈ごうちょうかんかい・1749-1835〉は、江戸時代後期の天台宗の僧侶。肥後(熊本県)玉名郡の専光寺(浄土真宗)の2男として生まれ、16歳で比叡山に入り、10数年にわたる一食一菜、三衣一鉢の難行苦行の修行の果てに台密の蘊奥を究めたという。加持祈祷の名手で聞こえ、広く帰依を受け、諸侯に招請されて各地を巡歴、晩年は比叡山に帰った。書画に秀でて、生涯にきわめて多くの作品を揮毫しており、現在でも1000点近くが伝存する。本作品は、その落款により、寛政8年〈1796〉3月、豪潮48歳の作である。

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AW-CEN-001712-0000
License
CC BY
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慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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Depository
Keio Museum Commons
Campus Mita
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Classification
Art

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Details

Identifiers

Title (EN)
Image of Tenjin By Priest Gocho

Physical description

Weights and quantities
Quantity 1幅

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Weights and quantities
Quantity 1幅