Portrait of Prince Shotoku
- Date
-
制作年 AD14
- Title
- ショウトクタイシショウマンキョウコウサンゾウ
- Materials, techniques and shape
- 絹本着色
- Collections
- Century Akao Collection
- Depository
- Keio Museum Commons Campus Mita
- Ref. number
- AW-CEN-002330-0000
- License
- CC BY Images license
- Creditline
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慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)
- URL
- Classification
- Art
- AI Tagging
- Style Art Monochrome Costume hat Monochrome photography
聖徳太子〈しょうとくたいし・574-622〉は、推古天皇の摂政として、官位十二階・十七条憲法の制定、新しい国家体制の基礎となし、遣隋使の派遣による大陸文化の導入、さらには深く仏教に帰依して四天王寺・法隆寺を建立するなど、古代の政治・文化に偉大な功績を残したことで、わが国歴史上最も著名な人物の1人である。死後まもなくして、その遺徳をしのび礼拝・供養する聖徳太子信仰が起こり、日本仏教の祖として、時代・宗派を超えて篤く信奉された。まず、中納言藤原兼輔が、延喜17年〈917〉に『聖徳太子伝暦』(2巻)を編んだ。これは、太子の事跡を編年体に叙述したもの。太子受胎の伝説から薨去かで、太子の生涯にわたる。さらに大化改新(645年)や太子一門・蘇我氏の滅亡まで含んでいる。また、延久元年〈1069〉には、絵師秦致貞によって『聖徳太子伝暦』を絵巻化した障子絵をはじめ、これに準拠した彫刻や画像・絵伝がつぎつぎに制作された。なかでも太子絵伝は、四天王寺絵堂の壁画、法隆寺絵殿の障子のほかに、絵巻や掛幅など、さまざまな形式で制作された。聖徳太子は勝鬘経・維摩経・法華経の三経を重視、それぞれの義疏を執筆したり、天皇の御前で講説したことなどが『聖徳太子伝暦』に記される。その太子35歳条に、勝鬘経を推古天皇の御前で講讃、その折に化仏や散華が空より舞い降りたことが記される。その様子を図様にあらわしたものが勝鬘経講讃像である。すでに平安時代の後期に、勝鬘経講讃図と思われる壁画が法隆寺で制作されており、古くからこの図が単独で描かれることがあったことが知られる。聴衆の数によって、独尊・一侍臣付・三侍臣付・四侍臣付・五侍臣付・六侍臣付・勝鬘経講讃曼荼羅などに分類される。本図は、一侍臣付の図様である。左手で麈尾(僧具の1つで、大鹿の尾の毛を挟木に挟んで、団扇形に切り揃えて柄を付けたもの。僧がこれを手に執って衆生を導くための標識としたといわれる)を執り、冕冠(天皇や皇太子が大礼の時に着用した冠で、上部に5色の珠玉を貫いた糸縄を垂らした冕板をつけたことからの名称)かぶり、袍に袈裟をまとって、褥の上に坐す。前には多足の机、その上には経巻と柄香炉が置かれる。その前にぬかずく臣下は蘇我馬子とされる。
Overview
Rights
Depository and ID
Components
OPEN DATADESIGN
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Details
Identifiers
- Title (EN)
- Portrait of Prince Shotoku
Physical description
- Weights and quantities
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Quantity 1幅
- Attachments
- 「飛鳥文化と聖徳太子展」図録(昭44年小田急百貨店、類例が掲載されているが本図がでている訳でなはい)/三重箱
Provenance
As a prototype feature, the Keio Object Hub uses AI (machine learning) to generate keywords for searches and filtering.
For the first launch, Google Cloud's Vision API will be used to analyze the images of each object and automatically generate keywords.