尊朝法親王筆詠草
- 人物
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作者尊朝法親王
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- ソンチョウホウシンノウヒツエイソウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
尊朝法親王〈そんちょうほうしんのう・1552-97〉は、伏見宮邦輔親王〈くにすけしんのう・1513-63〉の第六王子。弘治元年〈1555〉4歳で京都粟田口の青蓮院に入室。永禄元年〈1558〉正親町天皇の猶子となる。同5年11歳で得度して、尊朝と号し、翌6年に親王宣下を賜った。元亀2年〈1571〉の織田信長の比叡山焼き打ち以来、廃墟となっていた延暦寺を再興し、みずから天台座主となる。歴代の青蓮院門跡の中でもとりわけ能書として名高く、その遺墨は尊重され、数多く伝存している。尊朝法親王の書は、青蓮院流から独立させて、尊朝流として位置づけられている。また、『墨池掌譜』『入木道口伝』などの入木道(書道)に関する貴重な著作も残している。これは「対菊待月」を歌題の歌会に詠進するにあたり2首詠じ、添削を乞うた詠草である。「尊朝上る」とあることにより、歌道の師と仰ぐ父・邦輔親王に批評を求めたものであろう。紙背に「天正十三重陽」との書入れがある。が、『続史愚抄』によれあば、天正十三年九月九日に行われた歌会の詠題は「菊送多秋」で、歌題が異なる。この詠草は、別の歌会が催されるにあたって書かれたものか。「(端裏書:天正十三重陽)尊朝上(たてまつる)/対菊待月/置く露の光待つ間も白菊の籬に遅き山の端の月/色々の籬の菊の宵の間に待たるるものは月の影かな」
(端裏書)天正十三重陽尊朝上対菊待月をく露のひかりまつまも白菊のまがきにをそき山の端の月色/\の籬の菊のよひの間にまたるゝものは月のかげ哉
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Draft Kaishi by Princely Priest Soncho
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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