中院通村筆消息
- 人物
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作者中院通村
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- ナカノインミチムラヒツショウソク
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
中院通村〈なかのいんみちむら・1588-1653〉は、江戸初期の公卿。権中納言通勝〈みちかつ・1556-1610〉の子。母は細川幽斎〈ほそかわゆうさい・1534-1610〉の養女。初名は通貫(みちつら)、後十輪院(のちのじゅうりんいん)と号した。忠誠剛直な性格で、後水尾天皇〈ごみずのおてんのう・1596-1680〉の信頼を得たという。寛永6年〈1629〉の明正天皇〈めいしょうてんのう・1623-96〉への譲位事件の際、幕府より武家伝奏としての責任を追求され解官、江戸幽閉の身となった。が、のちに天海僧正〈てんかい・1536-1643〉の奔走によって特赦を受けて復帰、寛永8年〈1631〉正二位・内大臣となる。とくに和歌をよくし、『御十輪院集』(2巻)がある。書においては早くから世尊寺流の名手として聞こえたが、のちには通村を祖とする中院流が立てられ、多くの追随者を生んだ。また、古筆の鑑定にも優れた才能を発揮した。「関戸本古今集」の巻末識語をはじめ、『中院通村日記』『隔蓂記(かくめいき)』などにも、かれの鑑定記録が散見される。これは、数多くの歌の揮毫依頼(色紙・短冊のたぐいか)にもかかわらず、健筆(清書)をふるってもらったことへの礼手紙。中の一点につき気になるところがあるので訂正して再度の執筆を申し入れる、という。相手は、能書の家系「清水谷」。通村の活躍期から勘案すると、一時途絶えていた清水谷を相続した清水谷実任〈しみずだにさねとう・1587-1664〉と推定される。かれは、光悦流の能書阿野実顕〈あのさねあき・1581-1645〉の弟。書流系図「古筆流儀分(こひつりゅうぎわけ)」では、実任も光悦流にその名が掲げられるが、伝存の遺墨から見るかぎり、実任の書は中院流に近い書風を示している。「歌数多申し入れ候処、健筆を染められ候。過分の至りに存じ候。一首不審の事候。重ねて申し入れ候。御労煩察し存じ候。余は面談の次と存じ候。恐々謹言。二月九日(花押)/清水谷殿(花押)」
歌数多申入候処被 染健筆候過分之至存候一首不審之事候重而可申入候御労煩察存候餘者面談之次存候恐々謹言二月九日(花押)清水谷殿(花押)
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Nakanoin Michimura
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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