(近衛信尹賛)三笠山図屏風
- 人物
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賛者近衛信尹
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- コノエノブタダサンミカサヤマズビョウブ
- 材質・技法・形状
- 金地着色
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
近衛信尹〈このえのぶただ・1565-1614〉は、桃山時代の公卿で、摂関家近衛家の当主。文禄元年〈1592〉、秀吉の朝鮮出兵に際し、みずからが総指揮をとるべく渡航従軍を企てたが失敗。同3年〈1594〉、義兄たる後陽成天皇〈ごようぜいてんのう・1571-1617〉の勅勘に触れ、薩摩国最南端、坊津に配流となった。後に帰洛し、還俗後、関白・氏長者さらには准三宮となった。歌道・書道に秀で、ことに書においては、近衛流(三藐院流)と称され、本阿弥光悦〈ほんあみこうえつ・1558-1637〉・松花堂昭乗〈しょうかどうしょうじょう・1584-1639〉とともに「寛永の三筆」の1人に挙げられ、不羈奔放の性格のままに、豪放自在、すこぶる個性的な書をかいた。この賛の書風もその典型である。信尹の書風は、没後多くの追随者を得て、一世を風靡した。また、画にも非凡の才を発揮、とくに水墨画の名品を多く残している。この屏風は、金地の上に濃彩に描かれる三笠山を情景に、『古今和歌集』(巻第四・秋上)と『後拾遺和歌集』(巻第十四・恋四)所収の2首を大字で散らし書きにする。信尹の自負のみなぎりが発揮される、数少ない大字仮名作品のひとつである。三笠山は、奈良市東部、春日大社の背後の山で、笠を伏せたような円錐形が3つ折り重なった形をしていることからこの名がある。画は、なだらかな稜線に桧の若木の垂直線をからませ、画面の右に丈高い薄、その上方に月、彼方に遠山が描かれている。ひときわのびやかな勾配やリズミカルで軽快な樹の描写に、長谷川派の手法をうかがうが、筆者は不明。伝来途次による剥落が見られるのは残念ながら、信尹の豪放な筆跡と桃山時代の特色である華やかな絵との見事な調和が見所である。「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき/白露も夢もこの世も幻もたとへていへば久しかりけり」
尾久山爾赤葉布美倭計□□之□□聲□□□秋婆悲気しら露も夢も此世もまぼろしもたとへていへばひさしかりけり
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ライセンスなど
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グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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物理的特性
- 重量と数量
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員数 六曲一双
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