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烏丸光広筆富嶽自画賛

Keio Object Hub
人物
年代
制作年 AD17
タイトル
カラスマルミツヒロヒツフガクジガサン
材質・技法・形状
紙本墨画
コレクション
所管
ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001680-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
手書き 矩形 木材 フォント アート

烏丸光広〈からすまるみつひろ・1579-1638〉は、江戸時代初期の公卿。多芸多才の文化人として知られ、和歌・連歌はもとより、書画・茶道も能くした。とりわけ和歌は、細川幽斎〈ほそかわゆうさい・1534-1610〉に学び古今伝授を受けている。一方、能書家としても声価が高い。当初は、当時の公卿に共通の手習書法であった持明院流を習う。が、のちに光悦流に強い影響を受け、また同時に藤原定家〈ふじわらのさだいえ・1162-1241〉の書風にも私淑して、定家流も掌中にしている。しだいに不羈奔放の光広の性格を投影した光広流ともいうべき書風を確立、わが書道史上、近衛信尹〈このえのぶただ・1565-1614〉・本阿弥光悦〈ほんあみこうえつ・1558-1637〉・松花堂昭乗〈しょうかどうしょうじょう・1584-1639〉ら「寛永の三筆」と並び称される評価を得ている。本図は、富士山を一筆書きに描き、その余白に富士山を詠み込んだ1首の和歌を書き添えたもの。光広は、徳川家康〈とくがわいえやす・1542-1616〉の厚遇を受け、朝廷と江戸幕府との斡旋役として、生涯幾度となく関東へ下向。そのたびたび京から江戸・駿府に下向している。東海道往来の折に、仰いだ富士の霊峰を詠んだ和歌は数知れず、家集『黄葉和歌集』(巻第七・羈旅部)には20首が収められている。この和歌はその中には見あたらないが、かれの自詠にちがいない。のびのびと淡墨を駆った書画一体の妙は、光広の真骨頂を示すものである。

おもかげの山なる気かな朝夕にふじの高根がはれぬくもゐの

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001680-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

画像
ライセンス

所管・分類など

所管
ミュージアム・コモンズ
キャンパス 三田
URL
基本分類
美術

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OPEN DATADESIGN

Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。

オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Mt. Fuji by Karasumaru Mitsuhiro

物理的特性

重量と数量
員数 1幅
材質・技法・形状
材質 軸頭漆塗り
付属品
巻止め/墨書(烏丸光廣卿正筆)

識別情報

タイトル(英題)
Mt. Fuji by Karasumaru Mitsuhiro

物理的特性

重量と数量
員数 1幅
材質・技法・形状
材質 軸頭漆塗り
付属品
巻止め/墨書(烏丸光廣卿正筆)